2011年1月 8日 (土)

山中の門

201012010003_w Camera : Fuji GF670, Lens : EBC Fujinon 80mm F3.5, Film : Rollei retro400s, HC-110, IR72

私の原風景、子供の頃慣れ親しんで来た風景に山中に突然現われる門があります。子供の頃、野山で遊んでいると、獣道のような細い道の向こうに家門がある家があり、ミステリアスでもあり不気味でもありました。

その家門以外は鬱蒼とした林に覆われており、中がどうなっているのか伺う余地も無い。

こういう記憶は年とともに神秘化していきますが、実際は、裏山でクルミの大木に向かって、石や木の枝を投げて落とそうとしていた悪がきが、草庵に住むおじいさんに怒られていただけのことです。

ただ、現在では、車も入れない山奥に、草庵みたいな建物を建てて人が住んでいる状況など、めったに見られることはありません。

私が見ていた家も今は無く、子供は街中に家を建て、その場所は林にもどりつつあるようです。

ただ、子供の頃のイメージは残っており、そのイメージは年とともに美化されて来るようです。そして、そのイメージを具体的に残したいと思うようです。表題の写真は金閣寺の庭ですが、実際私が見ていた門は、こんな綺麗な門ではありませんでした。それでも、コレダと、思ってしまうのです。

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2009年11月10日 (火)

追憶の黄鉄鉱

R0012859_w 私が子供の頃、世の中は高度経済成長期であり、次々と砂利道は舗装され、新たな広い道路も出来ておりました。その中で、子供たちの楽しみは道路に敷く砕石の中から黄鉄鉱を探すこと。

毎日、足元の砕石を見つめながら、ほじり返して、黄鉄鉱の結晶が付いた石を探して歩きました。なにせ、子供たちは、それを金だと信じていたので、夢中で集めて、宝物にしていたのです。

おそらく、これは、全国的には普通の子供の楽しみではなかったかもしれません。しかし、私が育った秋田は鉱山がいたるところにあり、その鉱山からでたズリが道路の砕石に使われていた為、各種の鉱石が混じっていたものと思われます。

これが、北海道や九州であれば、炭坑からでたズリが使われ、石炭を拾うことも出来たでしょう。

今思うと、黄鉄鉱を金だと信じ込み、その日に拾った黄鉄鉱の大きさや輝きで一喜一憂していた子供達というのも滑稽ですが、現代の大人だって似たようなことをしております。

思うに、光る石を探して手に入れることは人間の本能であります。しかし、その本能のおかげで人類は金属を手に入れて、ここまで進歩してきたのです。そして、本能のままに、光る石を探して拾って遊んだことは、何にもまして楽しかった子供の頃の記憶なのです。

黄鉄鉱は石屋に行けば簡単に手に入るのですが、それらは輸入物です。品質的にはこちらが上でしょうが、子供の頃拾った黄鉄鉱はまさに、写真の黄鉄鉱を小さくしたようなものでした。

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2009年9月26日 (土)

初秋の田園風景

2009090076_w camera : Pentax 645, Lens : SMC Pentax A 35mm F3.5, Film : Optima II, Home made C41

彼岸花が咲く土手に囲まれ、たわわに実る稲穂が稲刈りを待つ水田、その向こうには茅葺の民家。非の打ち所の無い日本の初秋の田園風景であります。

しかし、撮影地は私の自宅から散歩で行ける横浜の端っこです。

もちろん、この一画は20年前から公園、文化財として整備され、この景観を保っておりますが、改めて作ったものではありません。江戸時代、小田切という旗本の屋敷の一部(背後の山に、旗本の山城があったらしい)を、その旗本が江戸移住することを機に、横溝という名主が拝領し、代々ここに居を構え、現在の建物は江戸後期から明治の初めにその子孫が建てたものです。
横浜市は、横溝家の当代の当主から寄贈を受け、屋敷と建物を保存、管理、公開して、後世に伝えているのです。

だから、この位地からこの方向を見る限り、江戸時代からそう変わらない光景を目にしているはずです。後ろが山であることが幸いして、広角レンズを使っても、完全にタイムトリップしたような景色がおさまります。本当は、頭上に高圧電線があるのですが...。

しかし、ここに立っていると、写真で写る以上に初秋の田園風景を実感できます。鳥のさえずりが聞こえ、稲の匂いがし、トンボも飛び交っておりますから。長い年月を経てここに伝わる田園風景そのものが横浜にもあるのです。

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2009年8月15日 (土)

横浜の古民家

2009070181_w Camera : GF670, Lens : EBC Fujinon 80mm F3.5, Film : Rollei Retro 400s, R72, HC-110

稲がすくすくと育つ水田、茅葺の屋根、綺麗な青空。典型的な日本の農村の風景です。最近は田舎に行ってもここまで見事なロケーションに建つ古民家は少なくなりました。

ここは、私の家の近くの横浜に残された農村の風景です。......と言うのはウソで、横浜市が管理している保存民家です。

このような古民家は、こんな形で保存されなければ、美しい姿を保つことは困難です。現代の人が現役で住んでいる住宅には、住むための「傷」がかならず付きます。テレビのアンテナも立てたいでしょうしBSのパラボロアンテナもつけたいでしょう。電気、電話線はもちろん引き込み、エアコンの室外機も置きたいですね。

また、昔の工法で建物をメンテナンスするには、多額の費用がかかります。

私は、文化財として古民家が保存されることに、大賛成です。現役の住居で無いことに何のマイナス面はありません、自由に写真を撮れることを考えれば、良い面の方が多いように思います。

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2009年7月 5日 (日)

抜海から南稚内までの丘

Img_8621_w camera : canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4l

私は、好きなものを記録するために写真を撮っております。私自身の個人的な感覚の記録なのですが、何となくまとめてみようと思い立ちました。

はじめに、抜海から南稚内までの丘。

昔、日本がまだ牧歌的だった頃、蒸気機関車の写真を撮る人たちは普通に線路を歩いておりました。

ここは蒸気機関車の撮影の名所で、早朝、札幌からの夜行急行利尻号が南稚内に着き改札を抜けると、みんな必死で抜海方向に向けて線路を小走りに歩いたものです。

数十分後に稚内方面から旭川行きの普通列車がC55に牽かれて、通過するので、それを撮影する為です。

みんな、線路を歩いて、好みの丘を見つけては登ってゆきます。南稚内から抜海までは長い駅間を、線路が丘を避けながら右に左に蛇行しながら走るので、どこで撮っても良い写真になるのです。

今は、蒸気機関車も無く、線路を歩く事も出来ません。ただ、車窓から見るこの丘の光景は昔のままです。一部、南稚内よりの丘に建物が建ちましたが、それ以外は、昔のまんまです。

空があり、丘があり、線路がそれを回りこむように走る。ただ、それだけの景色です。そしての景色が、私は大好きなのです。

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