追憶の黄鉄鉱
私が子供の頃、世の中は高度経済成長期であり、次々と砂利道は舗装され、新たな広い道路も出来ておりました。その中で、子供たちの楽しみは道路に敷く砕石の中から黄鉄鉱を探すこと。
毎日、足元の砕石を見つめながら、ほじり返して、黄鉄鉱の結晶が付いた石を探して歩きました。なにせ、子供たちは、それを金だと信じていたので、夢中で集めて、宝物にしていたのです。
おそらく、これは、全国的には普通の子供の楽しみではなかったかもしれません。しかし、私が育った秋田は鉱山がいたるところにあり、その鉱山からでたズリが道路の砕石に使われていた為、各種の鉱石が混じっていたものと思われます。
これが、北海道や九州であれば、炭坑からでたズリが使われ、石炭を拾うことも出来たでしょう。
今思うと、黄鉄鉱を金だと信じ込み、その日に拾った黄鉄鉱の大きさや輝きで一喜一憂していた子供達というのも滑稽ですが、現代の大人だって似たようなことをしております。
思うに、光る石を探して手に入れることは人間の本能であります。しかし、その本能のおかげで人類は金属を手に入れて、ここまで進歩してきたのです。そして、本能のままに、光る石を探して拾って遊んだことは、何にもまして楽しかった子供の頃の記憶なのです。
黄鉄鉱は石屋に行けば簡単に手に入るのですが、それらは輸入物です。品質的にはこちらが上でしょうが、子供の頃拾った黄鉄鉱はまさに、写真の黄鉄鉱を小さくしたようなものでした。




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