2009年11月19日 (木)

秋田にあった海底油田

R0012881_w 子供の頃見慣れていたハズの風景が、いつのまにか無くなってしまい、記憶の片隅に押しやられていたのに、何かのきっかけで鮮やかに蘇ることがあります。

私にとって、この模型がそうでした。ああ、あの風景は海底油田だったのです。

これは、まったく一般的ではありませんが、ある時期秋田で育った子供は、海水浴に行くと、なにやら怪しい塔が海上に建っているのを姿を見ております。特に、秋田市から最も近く、最も汚いと言われた浜田の浜からはよく見えました。

私が子供の頃、臨海学校みたいなものは、その浜田の浜でしたので、朝、昼、晩とその異様な姿をよく見たものです。一見ヘリポートのようにも見えますから、軍事基地か何かでやばい物かも知れないと思ったものです。

その後、こんな物は、見ることがありませんでしたのですっかり忘れておりましたが、秋田大学鉱山博物館でこの模型を見たとき、あの頃の景色が鮮やかに蘇ったのでありました。

ちなみに、左端にあるものは白竜号、この船みたいなもので、海底までやぐらを下ろして行き、ジャケットと呼ばれる採油櫓を作るのです。

少し調べていたら面白い記事を見つけたので見てみてください。無断リンクだけど良いかなぁ。これは、ヘリコプターの観点からの記事ですが、当時、怪しげに景色を見る小学生の影で、こんな大変な作業をしていたのですね。

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2009年9月12日 (土)

ボタ山の面影

Img_5641_w Camera : canon EOS 5D, lens : EF24-105 F4L

田川伊田の石炭・歴史博物館を通り越して、丘をのぼって行くとこの景色があります。画面の左に博物館に残る二本の巨大煙突の天辺が見えますね。

このちょっと異質で平らな原っぱは、ボタ山を整地したところです。おそらく工業団地のようなものだと思います。この写真を撮った時は何もありませんでしたが、次に行ったときには、近くに何かの建物が建築中でしたので、今は状況が変っているかもしれません。

この土地がボタ山の成れの果てであることは、地面をみるとすぐに解ります。石炭が混じった石=ボタが沢山落ちているからです。

ここに立って、元のボタ山を想像してみると、その大きさは信じがたい物があります。そして、その内部が発熱して煙があがっていたと言う事ですから、今の世界とは違う世界がここにあったのでしょう。当時の石炭産業の力とそれに携わっていた人々の生活までしのばれる、と言ったらおおげさでしょうか。

ここに、企業や工場が進出してくれる事は、田川市の願いなのでしょうが、このまま変らないでいて欲しい、と勝手に願ってしまう私が居ます。

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2009年9月 6日 (日)

炭住の面影

Img_9278_w 鉱業には多かれ少なかれ、そこで働く人々の共同生活の場があります。しかし、その度合い、社会性、結束がもっとも強かったのは筑豊炭坑ではなかったかと思います。

歴史、規模もさることながら、生活する人たちの熱さがその一つの要素だと思います。炭坑が閉山してから年月も経ち、やがてその痕跡が一つ一つ消えて行くなかで、どうしても見ておきたかったものの一つに筑豊の炭住がありました。

実際に人が住んでいる住居を見に行くというのは気が引けましたが、どうしても見ておきたいという思いが強く、何度か訪ねました。しかし、行っておいて本当に良かった、最後の炭住と言われたこの地区の住居もすべて更新され近代的な市営住宅になってしまうようです。

ここは、共同便所。撮影した時も現役かどうか解りません、しかし、臭いだけは現役でした。Img_5603_w_2

Img_9296_w

Img_5620_w 外見的に、私が重要だと思う特徴は、家の前に掘られた排水溝、そしてそこに急な角度で流しからかかる樋。

Img_5615_w 解体寸前の住宅から、中の様子を伺うことができました。右上に写るものは心霊てきなものでは無く、私の影ですから、念のため。

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2009年8月20日 (木)

松尾鉱山跡

Img_7057_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

最近、硫黄と言えば自殺の道具の原料とか、石油や石炭の厄介な不純物のような、どちらかというと負のイメージのする鉱物です。

しかし、以前は日本の産業を支える重要な鉱物資源で、これを求めて人々は山の奥深く、雲の上まで街を作って暮らしておりました。松尾鉱山もその一つですが、東洋一と言われたくらい大きな規模のもので、全盛期には1万3千人以上の人口があったそうです。

現在でもコンクリート作りのアパート群が廃墟として残っており、当時の面影を忍ばせます。このアパート群は鉱山を見下ろすように建っていたので、鉱山はアパート群の手前から右下に下りて行きます。

そのあたり、昭和51年の航空写真を見ると一面に灰色で所々赤黒い池があるなどいかにも荒涼としているのですが、その後、土を盛り植林をするなどして自然の回復に努めているようです、また坑道からは鉱毒水が出るのでそれを半永久的に中和する施設も作られております。

この、現状回復のための努力と費用だけでも、かつて硫黄を採掘して得られた繁栄を帳消しにして、さらにマイナスにもって行きそうな勢いですが、それは人々がその時々で一生懸命頑張ってきた結果なので、仕方が無いことだと思います。

その前提で、改めてアパート群の廃墟を見ると、なんだか寂びしげに思えてきます。同じ産業遺跡でも炭坑遺跡とはまた違った寂しさです。

ここも赤外写真で撮っているのですが、思ったほどの効果はないようです。一応貼っておきます。

2009080111_w Camera :  Fuji GF670, Lens: EBC Fujinon 80mm F3.5, Film : Rollei 400s, R72, HC-110

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2009年8月11日 (火)

手宮線の踏切

2009080035_w camera : Fuji GF670, Lens : EBC Fujinon 80mm F3.5, Film : Rollei Retro 400s, R72, HC-110

手宮線とは北海道で最も早く開通した鉄道の一部で、幌内の石炭を手宮の港まで輸送することが、その目的でありました。その後、国鉄に買い上げられ、国鉄は南小樽から新たな線路を函館に向けて架設し函館本線としたので、南小樽から手宮までの旧線は手宮線と呼ばれるようになった由です。

小樽の人たちは、この鉄道を産業遺産として大切に扱っているので、旅客扱いを廃止して45年以上、完全に廃線になって25年近くなろうとしているのに、いまだに線路も踏切も存在しております。

Img_6893_w その中で、面白い踏切を一つ紹介します。これは、長い間放置されている警報機の無い踏切ですが、踏切には昔の案内板が残っております。そこには、「この踏切には敷板がありませんので車両(馬そりを除く)は通行できません。期間12月25日から3月31日まで」

おそらく、雪がない間は敷板が無い踏切を車輪で渡るなどと言う事はだれもしないので問題ないけれど、雪で線路の間が覆われる間、ここを車輪で渡ろうとして、線路の間に嵌ることを警告した案内板でしょう。馬そりなら、嵌らないからOKなのでしょうね。

それにしても馬そりは車両だったのですか。

そういえば、冬の小樽は公道を走れるウインカー、バックミラー装着のスノーモービルが酒屋の配達で使われておりましたが、この案内板はそれ以前のものでしょうね。

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2008年9月28日 (日)

屋上のある駅ビル

20086161_w Camera : Mine six , Lens : Zunow 75mm F3.5, Film : Prest400 , Pyrocat HD

この写真はJR鶴見駅の駅ビル、カミンの屋上です。昭和40年から開業しているそうですが、いかにもその当時のビルらしい造りです。

その当時、ビルの屋上はあこがれの場所で、屋上からの眺めはビルの売り物だったし、子供たちの遊戯施設を作って、集客をはかったものと思います。

しかし、私が知っているカミンの屋上は広いコンクリートの広場と片隅にある小さな遊具だけの屋上児童公園のような風情でした。

20086162_w しかし、ここは眺めも良いし、風も通るので子供の遊び場としては良い場所で、親も気持ちよく子供の遊びを見て居れるところでした。なにより全てが見渡せるし、夜も6時には閉まるので、砂場等にネコのウンコとか落ちている心配もなく、安全面、衛生面で優れておりました。

このように長い間、子供の遊び場として親しまれてきたこの屋上も、今月末で駅ビルの閉鎖とともに長い歴史を終えます。

なんでも、お隣の川崎駅にラゾーナ川崎が出来て、駅ビルが不振になったので、それに対抗して駅前を再開発し、駅ビルも建て替えてルミネにするような話を聞きました。

各駅に同じような商業施設を作っても意味無いじゃん、と個人的に思うのですが、バーンとした立派な商業施設を作りたい人が一杯いるようで、仕方がありません。

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2008年8月24日 (日)

黒川油田のセントラル ポンピング パワー

Img_4373_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

黒川油田は世界で現存する唯一のセントラル ポンピング方式の油田です。この方式は油田の中央にパワーハウスを構え、そこからワイヤーを招木という支柱で支えてはりめぐらし、油井のポンプを動かすものです。

何故か、秋田の油田はこの方式のものが多く、ワイヤーが地表を這う時は、雪囲いをされ、空中で方向を変える時は滑車を使い、そして招木がワイヤーを支える光景は、とても情緒豊かで、日本的な油田の光景だったと思います。

しかし、原油が枯渇し、その姿は次々に消えて行きました。10mもの巨大なプーリーを持っていた院内油田、木製のプーリーを使っていた豊川油田、それらが次々と無くなっていたなかで、黒川油田だけが残っております。

黒川油田が生き残れた理由は、ここの油田は天然ガスも産出し、それを近隣の住宅に「都市ガス」として供給しているのですが、このガスを安定して供給するために、ガス層にたまる地下水を汲んであげる必要があったからです。ここの油田のポンプは石油をくみ上げる為というより、ガスの産出の邪魔になる地下水を汲んでいるのです。

その為、ガスの需要が少ない夏場は、ポンピング パワーは3時に停止するとのことです。

この黒川油田の内部を見ることは長年の夢でしたが、このたび会社から許可をいただいて、案内してもらいました。

まず、全ての中心になるのは巨大なプーリーです。ここは平ベルトでまわしておりますが、Vベルトのものが多かったということです。平ベルトを使うと、導線が長く取れるメリットがあるとのことです。ただ、調整は難しそうです。ここからは、私の想像ですが、同じように平ベルトを使った院内油田では巨大なプーリーがありました。プーリーが大きいということはトルクが大きいということで、山岳地帯にある油田でパワーを伝えるには、巨大なトルクが必要だったのだと思います。プーリーを大きくすると、その分ベルトが長くなり、導線も長くとる必要があったものと思います。

Img_4392_w 全ては、このモーターの動力から始まります。30kwと聞いたような。電気関係が苦手なので、ぴんと来ません。いずれ、このモーター1機ですべての油井のポンプを動かします。

Img_4413_w 巨大なプーリーの軸には変形カムがいくつもあって、円運動を往復運動に変えて、ワイヤーに伝えて行きます。

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2008年8月23日 (土)

黒川油田

Kurokawa_1_w Camera : Pentax645, Lens : Crutagon 60mm f3.5, Film : RVPF

私の記憶に強く残っている油井の姿は、リグにみるユニットポンプ型ではなく、集中ポンプ型といわれるものです。これは、パワーハウスからワイヤーを伸ばし、わいやーの先端につながった油井のポンプを動かす仕組みです。

この方式はかつて、秋田の油田で多く採用された方式ですが、今では黒川油田だけです、もともとこの方式は小規模な油田に向くものなので、世界中で残っているものは黒川油田のものだけのようです。

表題の写真にあるように、私の記憶でも油井は田んぼの真中にあったりしました。

Kurokawa_2_w その油井からワイヤーが伸びて、支柱を揺らしながら行ったり来たりとワイヤーが往復運動をします。この時キュン、キーッといかにも物悲しそうな音を立てます。

私はその音を聞きながら、油井から漏れる黒い水と緑の田んぼの対比を見るのが好きでした。

Kurokawa_4_w 黒川油田のパワーハウスは赤松に囲まれた山の中にあります。このパワーハウスは近辺の風景と非常によく調和しており、世界でただ一つ残った集中ポンプの油田が一日でも長く残ることを祈るばかりです。

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2008年8月22日 (金)

油田のある風景

Img_4366_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

子供の頃、炭坑の側で育てば、ボタ山がある風景が普通だし、油田の側で育てば、油井がある風景が普通です。

私は油田の近所で育ったので、油井があるのが普通の光景でした。大きくなって、故郷を離れると、どこの町に行っても油井が見られないので、どことなく物足りなく思ったものでした。

写真の光景は現在も秋田市で原油をくみ上げているポンプです。特異な形をしておりますが、この機械をリグ、またはユニットリグと呼びます。この機械はアメリカのテキサスあたりの油田で黙々と稼動している姿がよく似合いますが、日本で水田を背景にして稼動する姿もなかなかです。

もっとも、私の原風景にある油井はこのようなユニット式ではなく、集中動力式のものです。この方式はいまや、黒川油田に世界で唯一残っておりますが、自分のなかで当たり前だったものが、随分貴重な存在になってしまいました。

いずれ、油田の情景に関しては、今後も随時書いてゆくことになると思います。

20088162_w Camera : Pentax 67, Lens : SMC Pentax 75mm F2.8, Film :Presto 400, Pyrocat HD

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2008年7月20日 (日)

瑞穂埠頭

R0011498_w Camera : Ricoh GX100, Lens : Ricoh Zoom 5.1-25.3mm F2.5-4.4

地図の空白地帯というか、無いとされているもの、それは何処にでもあって、グーグルの航空写真も、まるで数十年前のエロ本のように黒マジックで塗られております。

黒マジックで消すほどで無くとも、一般の人は立ち入り禁止の地域が家の近くにあり、ずーっと気になっておりました。それは瑞穂埠頭といって戦後、米軍が接収した波止場です。

ここは、対岸のみなとみらいから見ると、グレーの軍用船がならび、なにやら怪しい雰囲気です。あの近くに行って見て見たいと思っておりましたら、Netの仲間がお誘いをして下さり、念願がかなって海からのぞくことが出来ました。

がらっと並んでいるのは揚陸艇でしょうか、異様ですが、私的にはちょっとかっこ良いと思える光景です。

R0011506 軍の装備をかっこよいと思う事には良し悪しがあるのでしょうが、こちら、瑞穂埠頭のそばにあるバー、スターダストのレトロな風景は、誰でも心置きなくかっこよいと思っても良いのではないでしょうか。

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