2012年6月21日 (木)

院内油田

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Camera: Lumix TZ-30

奥羽本線の秋田県と山形県の県境に院内という駅があります。この地名はまた院内銀山のあったところとしても有名です。

ところで、院内油田と言う、かつては日本最大級の油田も秋田にありました。山中に点在する油井にはワイヤーが張り巡らされ、巨大な集中動力から動力が伝達されていた、古典的かつ大仕掛けな油田でありました。

実は、私は、この院内油田も奥羽本線の院内駅の近くにあるものとばっかり思っており、院内駅を通過する度に「何時か行かねば」と思いを馳せ、山々を見回しておりました。

ところがひょんなことから、院内油田の院内とは、秋田県にかほ市にある地域の名であることを知りました。大好きな土田牧場のあるにかほ高原のふもとです。

ちょっと考えてみれば、当たり前の話で、銀を掘りながら油を掬っていたなんて話、聞いたことがありません。

私の場合、ウチに秘めた「鉄分」が冷静な理解を妨げているのでしょうね。

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ところで、院内油田の跡地ですが、なかなか立派に整備されておりました。アプローチも狭いながら舗装されております。ポンピングパワーもきちんと保存されておりました。院内油田の命は、写真で確認できる平ギアーと平ベルトで、この巨大ギアで強力なトルクのピストン運動をつくり、ワイヤーで各方向へ伝達し100基以上の油井に伝え原油をくみ上げておりました。

最近、佐渡の海底に油田が見つかった、とかいうニュースが流れました。改めてGoogleマップを見てみると、同じような形状の地形は秋田沖にもありそうです。かつては浅瀬で小規模ながらも海底油田があったのだから、深度を下げれば秋田沖にも海底油田が見つかってもよさそうなものですが、どうでしょう。

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2012年1月28日 (土)

炭住に積もる雪

Imgp1263_w Camera : Pentax 645D, Lens : FA 35mm F3.5

前に、「雪は命の試金石みたいなものだ」と書いたことがあります。生きていて使われているものは雪を撥ね退け、そうでないものは、ただ雪に覆われていくばかり。とか。

ある意味それは正しいでしょう。こんな写真からでさえ居住部と非居住部が想像つきます。それにしても、今年の雪はちょっと辛すぎる。

ここは北海道の幾春別。写真は去年の暮れのものですが、現在はさらに積雪が進んでいるそうです。もともと雪が多いところですが、今年は異常です。

Imgp1268_w この住宅は、住友奔別炭鉱の炭坑住宅でしたが、現在、日本で最も当時の面影を保っている炭坑住宅だと思います。このような豪雪の中、空家になった住居の部分の除雪も気にしながら、毎日雪かきをしながら暮らして行くのは大変な事でしょう。

早く寒気が緩んで欲しい、そして春になって欲しい。そう切に願います。

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2010年5月 3日 (月)

豊川油田の産業遺跡(1)

2010050011_w1 Camera : Fuji GF670, Lens : EBC Fujinon 80mm F3.5, Film : Presto, Rodinal

春のこの時期に行っておきたい所に豊川油田跡があります。この場所は葦原にあるので、夏の間は生い茂る葦が行く手を妨げ、また、蚊にも悩まされます。春先だと、足元の確認が取れ、また棘のある植物の区別も容易なので、藪を掻き分けるにも都合が良いのです。

しかし、実のところ、豊川油田は産業遺跡に指定されているので、案内板がいたるところにあるので、見学は容易です。藪を掻き分けるというより、写真に撮り易いことが最大のメリットです。

ここからは、手前にアスファルトを露天掘りをした跡にできたため池の向こうに、ガスのコンプレッサーを置いてパイプラインでガスを供給していたパワーハウスの跡が見られます。

2010050013_w 豊川油田も石油が採れなくなり、昭和41年から写真に見える日立製のコンプレッサーを使って、天然ガスを近所の湖東ガスに供給していたと思われます。この湖東ガスには現在も隣にある黒川油田が天然ガスを供給しておりますが、近所の町で使うガスをすべて地場の天然ガスでまかなっているのか、興味があります。ちなみに、湖東ガスの都市ガスの規格は通常の12Aとか13Aでは無く、5ANというものなのですが、それも、天然ガスの供給を地場の油田からされていることと関係があるのでしょうか。

私の母の実家は、秋田市の北の方にあるのですが、そこでは片田舎のくせに昔から都市ガスでした。古い農家のバカ高い天井に対して無意味とも思えるガスストーブで暖をとっておりました。馬が居る土間付の古い農家ですが、各室にガス管が来ていたのです。おそらく、その偏った都市ガスの普及は地場のガス資源となにか関係があったと思われるのですが、詳しいことは解りません。ちなみに今の秋田市の都市ガスの規格は13A。一般的なものですが、最初からそうなのでしょうか、今度機会があったら調べてみたいものです。

ところで、この写真のパワーハウスの屋根を良く見ると、面白い突起があり、風によってクルクルと回っております。これは、換気の為で、空気より軽い天然ガスの性質を利用して不慮の事故を防ぐための装置だったと思われます。

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2009年11月19日 (木)

秋田にあった海底油田

R0012881_w 子供の頃見慣れていたハズの風景が、いつのまにか無くなってしまい、記憶の片隅に押しやられていたのに、何かのきっかけで鮮やかに蘇ることがあります。

私にとって、この模型がそうでした。ああ、あの風景は海底油田だったのです。

これは、まったく一般的ではありませんが、ある時期秋田で育った子供は、海水浴に行くと、なにやら怪しい塔が海上に建っているのを姿を見ております。特に、秋田市から最も近く、最も汚いと言われた浜田の浜からはよく見えました。

私が子供の頃、臨海学校みたいなものは、その浜田の浜でしたので、朝、昼、晩とその異様な姿をよく見たものです。一見ヘリポートのようにも見えますから、軍事基地か何かでやばい物かも知れないと思ったものです。

その後、こんな物は、見ることがありませんでしたのですっかり忘れておりましたが、秋田大学鉱山博物館でこの模型を見たとき、あの頃の景色が鮮やかに蘇ったのでありました。

ちなみに、左端にあるものは白竜号、この船みたいなもので、海底までやぐらを下ろして行き、ジャケットと呼ばれる採油櫓を作るのです。

少し調べていたら面白い記事を見つけたので見てみてください。無断リンクだけど良いかなぁ。これは、ヘリコプターの観点からの記事ですが、当時、怪しげに景色を見る小学生の影で、こんな大変な作業をしていたのですね。

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2009年9月12日 (土)

ボタ山の面影

Img_5641_w Camera : canon EOS 5D, lens : EF24-105 F4L

田川伊田の石炭・歴史博物館を通り越して、丘をのぼって行くとこの景色があります。画面の左に博物館に残る二本の巨大煙突の天辺が見えますね。

このちょっと異質で平らな原っぱは、ボタ山を整地したところです。おそらく工業団地のようなものだと思います。この写真を撮った時は何もありませんでしたが、次に行ったときには、近くに何かの建物が建築中でしたので、今は状況が変っているかもしれません。

この土地がボタ山の成れの果てであることは、地面をみるとすぐに解ります。石炭が混じった石=ボタが沢山落ちているからです。

ここに立って、元のボタ山を想像してみると、その大きさは信じがたい物があります。そして、その内部が発熱して煙があがっていたと言う事ですから、今の世界とは違う世界がここにあったのでしょう。当時の石炭産業の力とそれに携わっていた人々の生活までしのばれる、と言ったらおおげさでしょうか。

ここに、企業や工場が進出してくれる事は、田川市の願いなのでしょうが、このまま変らないでいて欲しい、と勝手に願ってしまう私が居ます。

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2009年9月 6日 (日)

炭住の面影

Img_9278_w 鉱業には多かれ少なかれ、そこで働く人々の共同生活の場があります。しかし、その度合い、社会性、結束がもっとも強かったのは筑豊炭坑ではなかったかと思います。

歴史、規模もさることながら、生活する人たちの熱さがその一つの要素だと思います。炭坑が閉山してから年月も経ち、やがてその痕跡が一つ一つ消えて行くなかで、どうしても見ておきたかったものの一つに筑豊の炭住がありました。

実際に人が住んでいる住居を見に行くというのは気が引けましたが、どうしても見ておきたいという思いが強く、何度か訪ねました。しかし、行っておいて本当に良かった、最後の炭住と言われたこの地区の住居もすべて更新され近代的な市営住宅になってしまうようです。

ここは、共同便所。撮影した時も現役かどうか解りません、しかし、臭いだけは現役でした。Img_5603_w_2

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Img_5620_w 外見的に、私が重要だと思う特徴は、家の前に掘られた排水溝、そしてそこに急な角度で流しからかかる樋。

Img_5615_w 解体寸前の住宅から、中の様子を伺うことができました。右上に写るものは心霊てきなものでは無く、私の影ですから、念のため。

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2009年8月20日 (木)

松尾鉱山跡

Img_7057_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

最近、硫黄と言えば自殺の道具の原料とか、石油や石炭の厄介な不純物のような、どちらかというと負のイメージのする鉱物です。

しかし、以前は日本の産業を支える重要な鉱物資源で、これを求めて人々は山の奥深く、雲の上まで街を作って暮らしておりました。松尾鉱山もその一つですが、東洋一と言われたくらい大きな規模のもので、全盛期には1万3千人以上の人口があったそうです。

現在でもコンクリート作りのアパート群が廃墟として残っており、当時の面影を忍ばせます。このアパート群は鉱山を見下ろすように建っていたので、鉱山はアパート群の手前から右下に下りて行きます。

そのあたり、昭和51年の航空写真を見ると一面に灰色で所々赤黒い池があるなどいかにも荒涼としているのですが、その後、土を盛り植林をするなどして自然の回復に努めているようです、また坑道からは鉱毒水が出るのでそれを半永久的に中和する施設も作られております。

この、現状回復のための努力と費用だけでも、かつて硫黄を採掘して得られた繁栄を帳消しにして、さらにマイナスにもって行きそうな勢いですが、それは人々がその時々で一生懸命頑張ってきた結果なので、仕方が無いことだと思います。

その前提で、改めてアパート群の廃墟を見ると、なんだか寂びしげに思えてきます。同じ産業遺跡でも炭坑遺跡とはまた違った寂しさです。

ここも赤外写真で撮っているのですが、思ったほどの効果はないようです。一応貼っておきます。

2009080111_w Camera :  Fuji GF670, Lens: EBC Fujinon 80mm F3.5, Film : Rollei 400s, R72, HC-110

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2009年8月11日 (火)

手宮線の踏切

2009080035_w camera : Fuji GF670, Lens : EBC Fujinon 80mm F3.5, Film : Rollei Retro 400s, R72, HC-110

手宮線とは北海道で最も早く開通した鉄道の一部で、幌内の石炭を手宮の港まで輸送することが、その目的でありました。その後、国鉄に買い上げられ、国鉄は南小樽から新たな線路を函館に向けて架設し函館本線としたので、南小樽から手宮までの旧線は手宮線と呼ばれるようになった由です。

小樽の人たちは、この鉄道を産業遺産として大切に扱っているので、旅客扱いを廃止して45年以上、完全に廃線になって25年近くなろうとしているのに、いまだに線路も踏切も存在しております。

Img_6893_w その中で、面白い踏切を一つ紹介します。これは、長い間放置されている警報機の無い踏切ですが、踏切には昔の案内板が残っております。そこには、「この踏切には敷板がありませんので車両(馬そりを除く)は通行できません。期間12月25日から3月31日まで」

おそらく、雪がない間は敷板が無い踏切を車輪で渡るなどと言う事はだれもしないので問題ないけれど、雪で線路の間が覆われる間、ここを車輪で渡ろうとして、線路の間に嵌ることを警告した案内板でしょう。馬そりなら、嵌らないからOKなのでしょうね。

それにしても馬そりは車両だったのですか。

そういえば、冬の小樽は公道を走れるウインカー、バックミラー装着のスノーモービルが酒屋の配達で使われておりましたが、この案内板はそれ以前のものでしょうね。

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2008年9月28日 (日)

屋上のある駅ビル

20086161_w Camera : Mine six , Lens : Zunow 75mm F3.5, Film : Prest400 , Pyrocat HD

この写真はJR鶴見駅の駅ビル、カミンの屋上です。昭和40年から開業しているそうですが、いかにもその当時のビルらしい造りです。

その当時、ビルの屋上はあこがれの場所で、屋上からの眺めはビルの売り物だったし、子供たちの遊戯施設を作って、集客をはかったものと思います。

しかし、私が知っているカミンの屋上は広いコンクリートの広場と片隅にある小さな遊具だけの屋上児童公園のような風情でした。

20086162_w しかし、ここは眺めも良いし、風も通るので子供の遊び場としては良い場所で、親も気持ちよく子供の遊びを見て居れるところでした。なにより全てが見渡せるし、夜も6時には閉まるので、砂場等にネコのウンコとか落ちている心配もなく、安全面、衛生面で優れておりました。

このように長い間、子供の遊び場として親しまれてきたこの屋上も、今月末で駅ビルの閉鎖とともに長い歴史を終えます。

なんでも、お隣の川崎駅にラゾーナ川崎が出来て、駅ビルが不振になったので、それに対抗して駅前を再開発し、駅ビルも建て替えてルミネにするような話を聞きました。

各駅に同じような商業施設を作っても意味無いじゃん、と個人的に思うのですが、バーンとした立派な商業施設を作りたい人が一杯いるようで、仕方がありません。

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2008年8月24日 (日)

黒川油田のセントラル ポンピング パワー

Img_4373_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

黒川油田は世界で現存する唯一のセントラル ポンピング方式の油田です。この方式は油田の中央にパワーハウスを構え、そこからワイヤーを招木という支柱で支えてはりめぐらし、油井のポンプを動かすものです。

何故か、秋田の油田はこの方式のものが多く、ワイヤーが地表を這う時は、雪囲いをされ、空中で方向を変える時は滑車を使い、そして招木がワイヤーを支える光景は、とても情緒豊かで、日本的な油田の光景だったと思います。

しかし、原油が枯渇し、その姿は次々に消えて行きました。10mもの巨大なプーリーを持っていた院内油田、木製のプーリーを使っていた豊川油田、それらが次々と無くなっていたなかで、黒川油田だけが残っております。

黒川油田が生き残れた理由は、ここの油田は天然ガスも産出し、それを近隣の住宅に「都市ガス」として供給しているのですが、このガスを安定して供給するために、ガス層にたまる地下水を汲んであげる必要があったからです。ここの油田のポンプは石油をくみ上げる為というより、ガスの産出の邪魔になる地下水を汲んでいるのです。

その為、ガスの需要が少ない夏場は、ポンピング パワーは3時に停止するとのことです。

この黒川油田の内部を見ることは長年の夢でしたが、このたび会社から許可をいただいて、案内してもらいました。

まず、全ての中心になるのは巨大なプーリーです。ここは平ベルトでまわしておりますが、Vベルトのものが多かったということです。平ベルトを使うと、導線が長く取れるメリットがあるとのことです。ただ、調整は難しそうです。ここからは、私の想像ですが、同じように平ベルトを使った院内油田では巨大なプーリーがありました。プーリーが大きいということはトルクが大きいということで、山岳地帯にある油田でパワーを伝えるには、巨大なトルクが必要だったのだと思います。プーリーを大きくすると、その分ベルトが長くなり、導線も長くとる必要があったものと思います。

Img_4392_w 全ては、このモーターの動力から始まります。30kwと聞いたような。電気関係が苦手なので、ぴんと来ません。いずれ、このモーター1機ですべての油井のポンプを動かします。

Img_4413_w 巨大なプーリーの軸には変形カムがいくつもあって、円運動を往復運動に変えて、ワイヤーに伝えて行きます。

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