2009年10月 3日 (土)

レッドデータブック 第一種踏切乙種

Img_7161_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

第一種踏切とは、警報機と遮断機があるもので、通常見かける踏切の大半がこれにあたります。しかし、この第一種踏切は詳しく甲と乙に分けられますが、ほとんど自動警報機・自動遮断機が設置された甲種で、始発から最終まで、保安員が遮断機を操作する乙種は数えるくらいしかありません。

この乙種で有名なのが、名鉄の神宮前駅そばの踏切ですが、このタイプの踏み切りが存在するおもな理由は、複雑かつ微妙な遮断機のコントロールをする為ですから、一歩間違えば重大な事故につながる恐れがあります。

記憶に新しいのは東武鉄道の竹ノ塚駅そばの踏切事故で、それ以来首都圏ではほぼ、絶滅し、日本で最も高度な遮断機操作をしている神宮前駅そばの踏切も廃止が決まっております。

そんな中で、最後まで残るだろうと思われる、踏切が鶴見線大川支線の日本鋳造社前のこの踏切です。企業の敷地にかかっているので、正確には第一種踏切乙には登録されていない可能性もありますが、少なくても、形式的には完全な第一種踏切乙です。

Img_7157_w しかも、ハンドルを回してワイヤー遮断機を昇降させるという、踏切マニヤには感涙ものの踏み切りです。これが現在までオリジナルで残っているのは、踏切監視小屋が警備員詰所と同じである事、列車本数が極めて少ない事があると思います。

特に土日は通過列車が3往復しかありません。したがって、実際の操作を見に行くのも時間が限られます。それでも一連の手順は完全に守られております。ハンドルを回し、遮断機を下げる。ハタや手を振って運転手に安全を伝える、手を振って車掌に安全に通過した事を伝える、ハンドルを回して遮断機を上げるの手順です。

ただ、踏切に面した道路は土日でもトラックの通行が多いので、見学には注意が必要です。

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2009年8月24日 (月)

さよならオリエント急行

Img_0865_w Camera : canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

今日、オリエント急行が今年の12月で消えるというニュースを見ました。このオリエント急行はアガサ クリスティのミステリの舞台となったオリエント急行殺人事件のオリエント急行と、同じと言えば同じ、違うと言えば違うものです。

同じと言う意味は、このオリエント急行EN469はかつて西洋とアジアの入口を結んだ列車の成れの果てという意味で同じ。違う点は、かつての豪華列車の面影は、この列車には微塵も無いことです。

今、パリからイスタンブールまで列車で行くとしたら、パリ東駅を7:24に出発するTGVに乗り、ストラスブルグを経由してドイツのシュタットガルトまで行き、そこで11:58発のECに乗り継ぎ、オーストリアのザルツブルグ経由でフィラッハに18:43到着。そこから始発の夜行急行に乗り換えセルビアのベオグラードに翌朝6:21着。ベオグラードを7:50発のイスタンブール行きに乗ると、かつてのオリエント急行始発駅イスタンブール シルケシ駅には翌朝8:19に到着。のべ47時間55分の汽車旅が最速ルートです。

このルートは、ウィーンを通った初代のルートと、クリスティのオリエント急行殺人事件のシンプロン オリエント急行のルートを半々に組み合わせたようなルートですが、かつては無かったルートです。

また、このルートでストラスブルグとザルツブルグの間は、現行のオリエント急行と重なるので、この間だけオリエント急行に乗ってみるのも面白いかもしれません。

それが出来るのは今年の12月まで.......行きたいけど無理だなぁ。

表題の写真はEN469オリエント急行の始発駅、ストラスブルグです。なんとなくエキゾチックな駅ですね。

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2009年8月 6日 (木)

旅行に行ってきました

昨日までちょっと旅行に行ってきました。旅行の目的は親や友人と会うことでしたが、いろいろな「おまけ」も付けてみました。順番に写真で見ていくと...。

Img_6477_w 1.昔、村上の岩間崎キャンプ場でキャンプをしたことがありますが、夜中の海といさり火、そして夜汽車が綺麗だった記憶があります。ここをEF81が牽く団体臨時列車の回送が走るというので、訪ねてみました。日中に客車が走ることなど滅多にありませんから。ここまで村上駅からレンタサイクルで来ましたが、結構辛い物がありました。

Img_6644_w 2.秋田から青森まで、北東切符で行くなら、リゾートしらかみが便利、それもボックスシートが、混まない時には、お勧め。コンパートメントの中は、寝台のようにシートアレンジが出来、寝ながら海が見れます。

Img_6846_w 3.今や、昔ながらの夜行急行客車列車は「はまなす」だけになりました。この日は12両の長大編成、立ち席まで出る満員の自由席、と正統派の夜行急行の魅力がてんこ盛りです。昔、若者が北海道周遊券で北海道を旅した雰囲気が、この列車には残っております。

Img_6860_w_2 4.朝、目を覚ますと、機関車の顔が見える、という感覚は、自由席での夜明しとともに貴重です。久々に満喫しました。今回の旅行の目玉の一つです。

Img_6936_w 5.札幌に着き、西武百貨店と丸井今井百貨店に別れを告げて、カシオペアを見送った後、すぐに千歳空港に向かいます。福岡行きの最終は18時。札幌-福岡便は日本列島を縦断するので、一見国内線、最長フライトかと思って期待していましたが、東京-那覇便にも負けます。せっかく札幌に来たのだから空港でラーメン食べたい。これから福岡を経由して横浜に帰るまで、毎食ラーメンにしようかなぁ。

Img_6947_w 6.福岡空港からの地下鉄で乗ったトイレ付きの103系。こちらでは当たり前なのでしょうが。私的には目から鱗の車両。103系もやれば出来る子だったんだなぁ、と妙に感心。

Img_6994_w 7.福岡空港への途中、博多駅では幸運にも貨物列車が止まっておりました。長大編成で機関車の先頭が見れなかったのですが、ED76の牽引。交流専用機の終焉も近い気がします。旅行には貨物列車時刻表も持って行ったのですが一度も出さずに終わりました。ですが、偶然見ることが出来て、めでたしめでたし。

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2009年7月12日 (日)

ムーンライト九州の廃車のニュース

Img_9166_w Camera : Canon Eos 5D, Lens : EF100-400, f5.6-6.3L

先ほど、Yahooを開けたらムーンライト九州の廃車のニュースが出ていて、やっぱり、と思いました。夜行バスに押されていたようだし、終点まで2つの会社、三台の機関車を交代して走る快速列車は、生き残りが難しかったものと思われます。

これで、機関車が牽く列車は、観光列車を除いて、関東より西では絶滅してしまったことになるかも知れません。寂しいですが仕方がありません。ムーライト九州の車両はご苦労様でした。

Img_9165_w 門司にはEF81で到着しました。

Img_9175_w 門司から博多まではED76が牽引します。

Img_9181_w 車両はこんな感じ。

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2009年6月29日 (月)

盛岡駅の遺構

R0012459_w 盛岡駅も新幹線の乗り継ぎ駅で無くなってから、在来線に優等列車が見当たらなくなり、一抹の寂しさがあります。昔は、新幹線から「はつかり」に、またはその逆にダッシュする人たちがいて、にぎやかでした。さらにその前は、在来線の特急に「たざわ」も加わり、かつての、青森駅での青函連絡船と接続特急の席取りダッシュを彷彿させるものがあり、懐かしく感じたものでした。

帰省の帰りに久々に盛岡駅に降りて、感傷に浸っていると、偶然、足元にもんなものが。

「やまびこ」はもちろん新幹線のことではありません。それに「みちのく」なんてものもある。そして「はつかり」が2箇所に名前があるのは、583系のと485系があったからです。

「やまびこ」があることからも明らかなように、これは東京方面の特急列車の乗車目標位置です。それも東北新幹線が出来る以前の!

5831_w Camera : Yashica FX2000, Lens : Distagon 35mm f1.4, film : Kodachrome KM

感傷に浸っていた私は突然ハイになり、家に帰って、古いポジを眺めて見つけたのがコレ。東北本線583系「はつかり」最後の日の写真です。

後ろが切れている(12両編成だったのよ)とか、KMで特急の走行写真なんてアホか、という突っ込みはナシでお願いします。

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2009年5月10日 (日)

鶴見線、大川駅

2009591_w Camera: Fuji GF670, lens : EBC Fujinon 80mm F3.5, film : TMY2, EI=400, Micro fine

先日、鶴見線の記事で大川支線への電車は武蔵白石駅を無視する、と書きましたが、実は、昔は大川支線への始発駅は武蔵白石駅だったのです。

敷地が狭いので、狭く短いホームと、短い古い電車で運行しておりましたが、電車が古くなり、ホームを撤去して近代的な電車で鶴見から直通運転をして、武蔵白石駅を無視するようになったのです。

先日、鶴見線を歩いた時、大川駅にも行けばよかったのですが、原則「電車がなかなか来ないので、歩いてしまおう」という事だったので、最初から電車が来ない大川支線へは行くことが無かったのです。

というものの、なんだかんだで鶴見線をほぼ全線走破して大川支線だけ行かないのは気になったので、車で訪ねてみました。車だと、当たり前ですが、楽です。

2009592_w 大川支線はもともと、色々な会社に専用線が引かれ、貨物輸送を目的として使われていました。しかし2008年からその貨物も無くなり、本当に閑散としております。上の行き止まりの先は日清製粉につながっていて、また、分岐した手前、下の方は昭和電工につながっておりました。

2009593_w 貨物の入れ替えの時は、手動で踏切を閉鎖したものと思われます。

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2009年5月 7日 (木)

今朝の横須賀線

2009571_w_2 Camera : Contax G1, Lens : Biogon 28mm F2.8, Film : Kodak Aerecon II, PC-TEA

今朝、通勤の為鶴見駅に着くと、何か異様な気配が漂っておりました。「嫌だなぁ、連休明けで誰か飛び込んじまったのかなぁ」ととりあえず改札をくぐると、駅の放送がありました。

横須賀線の車両点検のために京浜東北線の運転を見合わせているとのこと。何で横須賀線の車両点検で京浜東北が止まるのだ、と思いつつ、京浜急行に振り替え輸送しているとのことで、振替乗車票をもらって京急へ。

ところがJR鶴見駅から京急鶴見駅まで人がつながっております。そこで覚悟を決めてJRが動くまで待とうと思い、ホームへ下りました。

ホームに下りると、横須賀線の線路で電車が止まっておりました。電車の中の人を見ると疲れていらだっているのが解ります。相当長くカンズメにされているのです。この段階で私のいらいらは消え、相対的にココロの平穏が訪れました。あー、自分はなんてラッキーなのだと。コーヒーでも飲もうと。

コーヒーを飲んでまたホームに戻るとまだ電車は止まっておりましたが、乗客は電車から救出されておりました。しかし、電車は駅に止まっているのに、何故乗客は線路を歩くのでしょう。おそらくかなり先の踏切まで歩くことになるのですが、何故駅のホームに上がらないのでしょう。

2009572_w 京浜東北線が止まった理由は、おそらく、横須賀線の乗客を線路に誘導する為です。せっかく電車を止めたのだから、最短距離で駅に誘導してもよさそうなものですが、不思議です。

結局、私は、この後バスで川崎に出て、東海道線に乗り換えました。これだけ長く止まったのは数年前、大雪でパンタグラフが下りて立ち往生した時以来のような気がします。雪なら仕方ないけど、今朝のは許せない。

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2009年5月 6日 (水)

休日の鶴見線

R0012193_w Camera : Ricoh GX100, Lens : Ricoh Zoom 5.1-25.3mm F2.5-4.4

先日、休日の鶴見線におじさん仲間と訪ねてみました。驚いたことに、GWの鶴見線は観光客でそれなりに賑わっていました。

R0012184_w 休日の鶴見線は30分に一本くらいの運転間隔なので、鶴見駅から国道駅には歩いて行ってもよいでしょう。鶴見線探索の旅で国道駅は外せません。ただし、日中でも暗いので写真を撮るのは困難かも。

来た列車は海芝浦行きでしたので、終着駅まで乗ります。海芝浦は東芝の敷地なので、駅から出れない駅?として有名です。(表題の写真)

R0012196_w 駅には、ちょっとした公園もあるので、ここで時間をつぶし、必ず乗ってきた電車に乗ります。これは鶴見線探索の基本です。ちなみに、ちゃんとSuikaで出場記録と入場記録をしましょうね。

R0012199_w 海芝浦から浅野駅で扇島駅方向の電車に乗り換えます。浅野駅はホームが三角形ですが、この乗り換えにはホームの踏切を渡る必要があるので、駅であまりうろうろすると乗り遅れます。鶴見線は一本乗り遅れると大変なことになるので、注意しましょう。

R0012219_w 安善駅からは大川支線が分かれますが、この列車は一日3本。朝以外は17:54分安全駅発以外は考えられません。写真は安善駅の隣の武蔵白石駅ですが、大川支線は一番向こうの線路、ここまで来ていて、この駅を無視します。

R0012239_w 安善駅から扇島まで、今回は歩いて行きましたが、NKKの工場があるおかげで、随分遠回りになります。

R0012248 扇駅はJR貨物の駅舎でJR東日本はその一部を使わせてもらっている感じです。線路は沢山ありますが、旅客用は一本だけ。ここにはネコが住み着いていて、それなりに可愛がられているようです。これは昨日の写真の後、列車が着くとこんな感じです。

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2009年3月14日 (土)

上り9002レ

Img_5430_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

これは、もう、サガというもので......止められない。

本日は、予定があったので、この10分前までは、あきらめておりました。ところが、上りの最終、富士・はやぶさが90分遅れたことで、一か八か近所の踏切へ直行。何人かカメラを構えていることで、まだ来ていないことを確信。車を降りたとたん警報機が鳴って、最終の上り列車をみることが出来ました。

この列車は9002レ。3月14日現在では定期列車ではなくなっているので臨時の9000番台を、本来の2レに付けてます。レは列車のレ、機関車が客車を牽く列車のことを指し、2は上りの最も若い番号=最優等列車を指します。この列車が本日で終了しました。

実は、私、はやぶさには乗ったことがあるのですが、富士には乗らずじまい、最後に一度乗ってみたかったのですが、叶わぬ夢として終わりました。

はやぶさに乗ったのも10年以上前、九州に入って、電車特急に次々と追い抜かれるのを我慢しながら意地で熊本まで乗り続けた思い出があります。......あれ、仕事での出張だったのだけど...当時はまだ、日本も牧歌的で.....じゃないか。

今回、九州行きのブルートレンが全滅した背景には、世の中が世知辛くなって、スピードと効率がとにかく優先する風潮があったのだと思います。

たとえ、JR4社をまたいで運行しなくてはならない問題があったにせよ、そして貨物と分離された為、それぞれの旅客会社で機関車の乗務員を別個に養成する問題もあったにせよ(四社のうち一社の乗務員が居なくなっても運行出来ないことになります)、ご時世の問題だと思います。

Img_5438_w (この列車、上りも下りも最後尾は富士、はやぶさのマークを撮るなら東京から田町の間の回送区間でしたね。)

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2009年3月13日 (金)

さよなら富士ぶさ

Img_5412_w Camera : Canon EOS 5D, Lens: EF24-105mm F4L

私、人様から、よく行動を読まれるのですが、不思議な事です。

お前、今日新橋の駅で写真撮ってただろう?と聞かれそうなのですが、その通りだから仕方がありません。

本日の発車をもって、東京駅を発車するブルートレンは絶滅しました。したがって、新橋駅を通過する列車もなくなりました。今まで日常であった光景を撮っておこうと思って、カメラを抱えて新橋駅に行きました。

Img_5401_w 思ったとおり凄い人です。駅のアナウンスは「三脚は使わないで下さい」と言ってますが、ハナから無理です。左の写真は17:21分東京着の回送列車ですが、この時点でこれだけおります。

Img_5422_w 本日の新橋駅で驚いたのは、一見通勤客のように装っていた人が(私もそうだけど)、列車が接近すると、突然携帯やコンデジを取り出して、飛び出してきたこと。かなりの人が動画で撮影していた事です。

本来のダイヤなら富士・はやぶさの前に回送電車が通るのですが、今日は、安全を考慮してか、順番を変えたようです。

JRは大変だったでしょうが、やはり機関車に牽かれた特急列車が走らなくなると思うと寂しいものがあります。由緒正しい東海道本線がただの通勤路線になってしまったような感じです。

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2009年2月18日 (水)

ネコミミ希望

Img_5316_w Camera : canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

東北新幹線の新型E5系のデザインも発表され、ダッセェーという落胆は否めません。あれよりも、E954のどちらかの先頭車の方が良いような気がします。

E5系の先頭車はE954の盛岡方向のアロー型といわれる表題のものに近いと思うのですが、それならE954のものでも良かったハズ。

なによりネコミミが無くなるのは寂しいです。ネコミミとはネコの耳のような形の羽のエアーブレーキです。このネコミミもテストされていたようなのですが、なんでもなくとも時速320km運転では制動に影響が無かったとのことです。

その為、量産車では取り付けられないようですが、何となく残念です。もっとも、この写真を撮った後に乗った「こまち」の車両が仙台駅でドアが凍結して開かなくなるハプニングがあったぐらいですから、ネコミミを装着しても、冬季は結構厳しかったかも知れません。

Img_5320_w 「ミミが凍ってでねぇ」なんて事態をまねかないとも限りません。左の写真は先頭車でのネコミミの位置。気まぐれで出てこないかなぁ、なんて思いながら見てました。

Img_5325_w 写真はE954の東京よりの先頭車。格好は悪くないけど、いまさら、という感じもします。E5系では白(飛雲ホワイトと言うそうだ)とグリーン(常盤グリーンと言うそうだ)の間にピンク(はやてピンク!)が入るようです。E954の配色のほうが良かったなぁ。

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2009年2月16日 (月)

冬は難しい

Img_5219_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105mm F4 L

野暮用で秋田に帰省することになり、行き帰りの道中にちょっと遊びを入れれないかと考え、計画したのですが、冬の日本海側は天候が不安定なので、難しいですね

Img_5180_w 秋田に向かいますが、大宮駅で余裕でムーライトえちごを見過ごします。

Img_5189_w その後にやってきたのがこれ、なんかカメラを持った人がいるなぁ、と思ったらこんな列車が走っていたのですね。知らなかった。

Img_5197_w 秋田に向かうためにまず、乗る列車は急行能登号、いまや貴重なボンネットの489系。

Img_5206_w 急行能登号は高崎でムーンライトえちごを追い抜くので、三連休パスなどで、これに乗るには0:01大宮発の急行能登号に乗って、高崎でムーンライトえちごに乗り換えると便利です。しかし、今回は、泊まで能登号を使います。

泊から、急行きたぐにに乗り換え。私の計画では、0:01大宮発急行能登、5:00泊着。5:08泊発、急行きたぐに8:30新潟着、8:33新潟発特急いなほ、秋田着12:11。だったのです。

しかし、ここで写真が途切れてますねぇ。長岡駅で途方にくれているようにも見えます。そう「きたぐに」が強風の影響で遅れてしまい、私の計画もあえなく轟沈。やっぱり無茶してはいけませんね。

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2009年2月 4日 (水)

D51498大丈夫か

200211161_w Camera : Pentax 645, Lens : Variogon 140-280mm f5.6, Film : RDP III,

今日のニュースでJR東日本が新たな復活SLを探していると報道されました。嬉しいニュースですが、実は穿った見方を私はしております。

JR東よ、D51498を溶かしたな。と。

事の起こりは、蒸気機関車に給水しないで火入れ式を行なってしまい、ボイラーを壊すという失態であります。つまり、空のやかんを焚き火にかけて溶かしてしまったようなものです。

蒸気機関車も現役を引退して何十年も経ちますので、そんな考えられない事故も起こってしまうのですね。さすがにプロであるJRは「機関車を溶かしてしまった」なんて言えないので、「三台目の復活SL」を物色中、と表現したのでは無いかと。

そして近い将来、「新たにxxxが復活したことにより、長年親しまれてきたD51498は交通博物館で引退することになりました。」というニュースが流れるのではないかと心配するわけです。

D51498負けるな、頑張れ。そして三台目の復活SLは9600がいいなぁ。

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2009年1月25日 (日)

ティラノ駅

Img_1821_w Camera : canon EOS 5D, Lens :EF24-105 F4L

また、どっかに行きたいなぁ、と思っていた矢先に、ベルニナ急行に関するコメントをもらって、昔の写真を見ていたら、無性に行きたくなってきたゾ。止まるかなぁ。

で、ティラノ駅です。ベルニナ線の駅には箱根登山鉄道から送られた看板があり、これは外せません。

Img_1819_w_2 イタリア国鉄の駅は左、右がベルニナ鉄道の駅。ほぼ平行しているものの、イタリア国鉄は標準軌道直流電化、ベルニナ線はメーター軌道直流電化、永遠に相互乗り入れは不可能です。

Img_1820_w ティラノの駅前。小さな町です。

Img_1835_w 有名な教会。ベルニナ急行の窓が大活躍。沿線の景色でこの大窓が一番役立つ瞬間。ちょっとゆがんでいるけどね。

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2008年12月30日 (火)

秋田内陸縦貫鉄道を応援しています、その3

Img_1880_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

この写真は最近撮ったものではありませんが、この2,3日、日本海側の天候が荒れて、帰省に影響があったそうですから、秋田内陸線はこんな感じだったかも知れません。

とりあえず、延命が正式に決まって今年の年は越せそうですが、実際に何か変った訳ではなく、これからも毎年、新しい年を迎える事が出来るかどうか厳しい状況は続くでしょう。

ましてや、この不況風、なんとか頑張ってしのいでいって欲しいものです。

私が乗った列車には女性の車掌さんが乗務しておりましたが、雪の中大変そうなのに、終始笑顔で乗客に接してました。今も元気で乗務しているのでしょうか。これからもこの仕事を続けていけると良いですね。彼女だけでなく、この鉄道に係わる全ての人々が。

私も今年の半ばまで、余裕で、内陸縦貫鉄道の存続を応援しておりましたが、気が付いたら、私の存続を応援すべきでは無いかという状況になってきました。お互い頑張って存続しましょう。マジで。

それでは、みなさま良いお年を。

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2008年11月30日 (日)

0系、撮ったドォー

Img_4875_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L (最古モデルと最新モデルのすれ違い)

0系新幹線は本日で44年にわたった定期運行を終了した訳ですが、不覚にも写真を1枚も撮っておりませんでした。

こんなこともあるサ、とあきらめておりましたが、だんだんと写真が欲しくなり、昨夜の夜行バスに乗って岡山まで撮りに行ってしまいました。

岡山には早朝の5時半に着きます、この時間だと、0系のこだま620号に乗り、隣の相生で0系のこだま629号の写真が撮れるのです。または、それに乗って岡山に帰ってくることも出来ます。

Img_4807_w ところで、岡山について驚いたのが、最後の運転になる、14:51発のこだま659号に朝の5時半から並んでいる人がいることでした。私は結局岡山に帰ってこなかったので、この後のことは知りませんが、どうなったのでしょう。

岡山でこだま620号に乗ると、一見して鉄ヲタが結構乗っておりました。久々に乗る0系ですが、内装はシートを除いて、当時と似ているような似ていないような、0系自体も進化しており、今残っている0系はその最終モデルなので、往年のイメージとはちょっと違います。

それでも外観はまさに0系です。やはり、ちょっとくらい無理しても自分で好きに使える写真を撮ることが出来てよかった、と思う次第であります。

Img_4884_w 本日は駅員さんも大変だったでしょう

Img_4892_w 0系は、後追いも押さえておかないとね。

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2008年9月26日 (金)

セラ1

Img_9103_w Camera: Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

私は中原中也さんの「頑是ない歌」より、武田哲也さんの「思えば遠くに来たものだ」の歌詞のほうが好きなのですが、それはなにより、出だしの歌詞が好きだからです。

「踏切りの側に咲く コスモスの花ゆらして 貨物列車が走り過ぎる そして夕陽に消えてゆく」

なんとも言得ない、素晴らしい情景ですが、この場合、貨物列車を牽く機関車は9600、貨車はセムかセラであるべきです。たとえ機関車を妥協してディーゼル機関車にしても、貨車は絶対セム、セラで無ければなりません。

なぜなら、コスモスの揺れ方と、走り過ぎ去るスピード、夕陽に消えて行くまでの時間がこの詩の情景でとても重要だからです。

コスモスの花は、ゆっくり走る石炭貨物列車の振動と引き起こす風によってリズミカルに揺ら揺らとゆれる必要があります。絶対に疾走する高速コンテナ貨物列車の風圧で、倒れるようにあおられてはいけません。

走り過ぎる貨物列車はトン.......トンとリズミカルな2軸台車の音で、余韻を残してフードアウトしなくてななりません。決してコキのボギー台車のガシャンガシャンと言った感じの、けたたましい音で走り抜けてはなりません。

できれば、やはり、空には、蒸気機関車の白煙が夕陽に輝きながら、一本の筋になり、貨物列車が遠ざかるにつれ、秋の空気に溶けていってほしい。

実は、私も実際に9600の牽くセム、セラの姿を見たことはありません。写真で見て、レコードを聴いて、自分の中でイメージが出来上がっていて、それがこの歌を聴いたことで、動画として頭の中で動いただけかも知れません。

しかし、セムやセラも保存されているのはごくわずかです。この写真のセム1は九州鉄道記念館のものですが、写真が撮りにくい位置に展示されております。もうちょっと良く見せてくれれば嬉しいのですが。

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2008年9月 1日 (月)

さよなら、まりも

Img_9103_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

本日のニュースで特急まりも号がラストランだったことを知りました。これで北海道内の夜行列車は全滅です。しいて言えば、急行「すずらん」を引き継いだ、青森と札幌を結ぶ、急行「はまなす」がまだ、残っておりますが、これも風前の灯火と思います。

Img_8920_w (反対側の先頭車)
これだけ、夜行列車が減って行く背景には高速バスの発達があります。高速バスは、バスの台数を調整するという機動性があるので、鉄道に比べて低価格で、便利で、最近は乗り心地もよく、夜行列車よりメジャーになったのです。

これは仕方が無い事とは言え寂しいことです。北海道はかつて、若者が貧乏旅行を楽しんだところで、もう死後になっていますが、こんな若者は、カニ族と呼ばれました。その言葉の由来は大きいリュックサックを担いで旅行するので、改札口を横歩きで通る必要があり、その横歩き姿からカニ族と呼ばれたものでした。

このようなカニ族の強い見方は、全道周遊券。これさえ持っていれば、国鉄の急行自由席に乗れるので、宿が無ければ、列車に乗って夜明かしすればよいのです。昔は、このような若者たちで、北海道の夜行急行列車は連日満員、座席に座れないのは普通の事でした。

その頃の北海道の夜行列車は札幌と稚内を結ぶ、急行「利尻」、札幌と網走を結ぶ急行「大雪」、札幌と釧路・根室を結ぶ急行「狩勝」、札幌と函館をむすぶ急行「すずらん」等でした。これに小樽と釧路を結んだ、夜行の普通列車、最後には「からまつ」という愛称をもらった列車が加わります。

Img_8921_w (連結されていた寝台車、前後の気動車と溶け込んで違和感がありません。気動車に挟まれているので、独特の柔らかい乗り心地)

私も、これらの列車にはさんざんお世話になったし、夜行列車が交換する駅で反対側の列車に乗り、出発した駅に翌朝戻るなんて、荒業もやりました。

このような旅ももう出来なくなりつつありますね。時代とはいえ、寂しくなりました。

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2008年8月29日 (金)

秋田内陸縦貫鉄道を応援してます(2)

Aniaisen5_w Camera : Asahi Pentax SL, Lens : Super Takumar35mm F3.5, Film : Plus X, D76

先日、旧阿仁合線の貨物列車は木材とチップの運送が主であった、と書きましたが、その証拠写真を探してみました。これは、1974年1月15日に撮影したものですが、阿仁合の方面に向かって空の木材運搬用のトラ、チップ運搬用のトラが連なっております。

前回、あんなことを書いてみて、恐る恐る昔のネガを探してみました。今の私には、昔のネガを見ることは懐かしくもあり、恥ずかしいことでもあります。とにかく現像が酷くてどうしようもありません。今時の子供たちはもっとまともな現像をすると思うのですが、あの当時液温なんて計ったことすらなかったのです。特に蒸気機関車を撮影したモノは+1で撮影しているので、現像オーバーなんかすると、とたんに悲惨なネガになってしまいます。さらにこの時は初めてプラスXを使ったので、現像も露出もいい加減です。

Aniaisen2_w あらためてネガをみると、当時は見向きもしなかったカットがいとおしく感じられます。写真のカットは屋根の雪下ろしが面白くてシャッターを押したものと思いますが、当時は蒸気機関車も写っていないコマなどプリントさえしておりません。完全に記憶から消えたコマであります。今スキャンしてみると、昔の車などが写っており楽しいです。

また、当時のアルバムから正確に調べてみると、阿仁合線のC11はこの時、除雪用にDLが必要になり、期間限定で復活し米沢から流れてきたC11が運用に当たっていたようです。

先日の鉄橋の写真は、おそらくニュースでC11が復活したことを聞いて、父にねだって車を出してもらったものと思われます。表題の写真は友人と一緒に、友人の親戚の家に泊めてもらった翌日のカットです。

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2008年8月27日 (水)

秋田内陸縦貫鉄道を応援してます(1)

Img_4339_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

秋田内陸縦貫鉄道は、旧国鉄阿仁合線と角館線、そして工事中だった鷹角線を継承して運営する第三セクターの鉄道であります。写真は萱草と笑内の間にある鉄橋を行く急行もりよしです。

この鉄道はその生い立ちから常に存亡の危機に面しているのですが、私は個人的にささやかな応援をしております。用も無いのに鉄道に乗り、また乗りもしないのに切符を買います。さらなる応援として、この鉄道の写真を撮り紹介して行こうかな、と考え始めました。

個人的にささやかな応援をしても、この鉄道はいよいよ滅亡の危機にさらされているので、今のうち撮っておこうという、鉄ヲタ本来の性格が現れているだけかも知れません。

まずはじめに、そもそも何でこんなところに鉄道が計画されたかというと、まずは当時日本を代表する銅山であった阿仁鉱山から鉱石の運搬。ここの鉱石を大館方面に運搬することが考えられたでしょう。

次に、森林資材の運搬。実は私が子供の頃、阿仁合線を走る貨物列車の写真を撮ったことがあるのですが、その貨物の内容は木材とチップでした。これは能代方面に向けた輸送だったと推定します。

Aniaisen1_w_2  写真は1973年11月の比立内からの1292列車、阿仁合に着く前なこともあってほとんど荷がありません。表題の写真と同じ鉄橋ですが、当時、いまのような道路が無く、表題の写真の右下に見える細い道路だけで、そこから撮ったものです。Camera:Pentax SL,Lens:Super Takumar 35mm F3.5、Film:Fujichrome100

最後に、人の輸送。沿線を併走する国道105号線は大覚峠で途切れた道路でまた、冬季は閉鎖される冬眠道路でありました。そこで、この付近の住民は鉄道の開通を待ち望んだものとおもわれます。

現在、阿仁鉱山は閉鎖され、貨物の輸送自体も無くなり、住民の輸送だけがこの鉄道の目的ですが、もともと沿線の住民は多くなく、鉱山も林業も廃れて人口が減り、国道も開通した今となっては、存在しているから使われる程度の鉄道になってしまったものと思われます。

ただ、ここの鉄道の風景は美しいです。なんとかもっと多くの観光客を誘致して、鉄道にのってもらい存続していってもらいたいものです。

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2008年8月19日 (火)

急行あおもり号

Img_4248_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF100-400 F4.5-5.6L (大釈迦)

ちょっとした用事があって帰省してきました。

帰省といえば、表題の写真は、昔から、お盆とお正月に設定される、正統派の帰省用臨時列車「あおもり」号です。

昔は帰省用の臨時列車として山ほど、夜行急行列車が運行されておりました。そして、それらの夜行列車は帰省客に相当な苦行を強いたものの、故郷に帰る希望のせいか、どの列車も大盛況でした。

このような帰省用の夜行急行は絶滅したかに思いましたが、今年の夏、一往復の急行あおもり号が運行されました。

急行あおもり号とは、古くからお盆と正月に設定される大阪から青森を結ぶ、帰省用の臨時夜行急行ですが、最近は、地震とか豪雨とかの災害で運行されてなかったような気がします。

なにか、久々に、清く正しい正統派の帰省用臨時列車を見たようで、すがすがしい気分なのですが、どうも中の乗客は帰省目的ではなかったような気がしたのは気のせいだったのでしょうか。ところで、私の帰省の目的は、コレを見るためではありません。念のため。

Img_4234_w 大釈迦の入線。ここで下り列車と交換するので、のんびり見学できます。

Img_4257_w_2 矢立峠のを越える頃には夕闇が迫っております。

Img_4280_w 秋田駅では長く停車するので、乗客がワラワラと降りて来ます。中には、普通の帰省客もいるようですね..ホントかな?

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2008年8月 9日 (土)

今朝の富士ぶさ

Img_4023_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF100-400 F4.5-5.6L

昨日下りの「富士、はやぶさ」を撮ったからには、今朝上りの「富士、はやぶさ」を撮らなければなりません。ペアを組む相棒の機関車が牽引してくるハズです。

今日も混雑を避けるため新子安を外します。上りは充分日が昇っているので何処でも良いのですが、私は、朝早く起きれないので、家の近くの川崎駅で撮影します。

土曜の朝なので、さすがに2名の方がおられましたが、それでも、静かに撮影することが出来ます。京浜東北線のホームから撮影しますが、ポールが間に無く、ゆるやかなカーブなので、望遠レンズを使うと難なく全編成が入ります。

京浜東北線の北行が併走して来ますが、問題ありません。

Img_4065_w ところで、昨日コメントをいただいた610さまのおっしゃった、国鉄のアパートって、まさしく私が行く末を気にしていたこの団地ですね。この先どうなるのでしょう。

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2008年8月 8日 (金)

富士ぶさ、最後の夏?

Img_4019_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

正式に決まったわけでは無いようですが、心の準備ははじめております。と言うのは、東海道線に残る最後のブルートレン「富士」「はやぶさ」の廃止のことです。

かつて国鉄の看板列車だった九州行きのブルートレンもこの「富士」と「はやぶさ」を残すのみですが、それでさえ来春には廃止になるという噂であります。

まだ盛夏でありますが、着実に日は短くなってきており、東京を18:03に発車する下り列車の写真を撮る場合、最も撮影しやすい新子安の駅だとここ数日が限界になるのではないでしょうか。

ということで、ちょっと仕事をはやく切り上げて新子安まで来たものの、もう沢山の人がカメラを構えており、密かに写真を撮っておこうとした甘い考えが吹っ飛んでしまったので、一つ手前の鶴見で撮影しました。さすがに、ここは誰もおらず、静かに撮影が出来たのですが、定時だと18:23着の京浜東北線とかぶるリスクがあります。

先に京浜東北線が現れて、それを「富士ぶさ」が追ってくるのですが、かろうじて構内の手前、カーブを曲がりきったストレートでぶっちぎってくれました。

いいおじさんが、何やっているんだ、なんて.....たまには思うのですが。仕方が無いですね。

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2008年6月23日 (月)

あじさい電車

R0011260_w Camera : Ricoh GX100, Lens : Ricoh Zoom 5.1-25.3mm F2.5-4.4

あじさい電車に乗ったくせに、昨日の写真には全然あじさいが写っていないじゃないかゴラァー、と思っている方もおられるでしょうね。雨で、暗いし、混んでいるし、鉄用のPentax67はほとんど出番なしでした。旅のスナップは、結局、コンパクトデジカメが中心になってしまうのですね。現在あじさいの見ごろは、表題の写真にあるような、箱根湯元から塔ノ沢の間が一番です。上のほうは、まだまだこれからです。

R0011253_w 箱根湯元の駅から登山鉄道に乗るため、入場制限があります。

R0011290_w どこを、どう撮ってもあじさいが片隅に写ります

R0011293_w やはり、あじさいは古い電車に合いますね。

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2008年6月22日 (日)

箱根登山鉄道、大平台駅

20086212_w Camera : Pentax 67, Lens : SMC Pentax45mm F4, Film : CTPRO400, 30c, 6m45s

家人から「箱根の温泉に行くので送れ」とお願いされたので、「電車で行くならOK」と返事しておきました。「ならイイ」と言う返事を期待できます。

残念ながら、期待した通りの返事はもらえず箱根まで電車で送ってゆくことになりました。まあ、電車でゆけば箱根登山鉄道にも乗れると思っていたので、それでも良かったのです。私は箱根には何度も行っているくせに、電車で行ったことは無かったのです。

箱根登山鉄道は期待以上の楽しさでありました。ただ、今の時期はかなり混雑しており、入場制限も行なわれております。出来れば、のんびり電車に乗って各駅に降りてみたいところですが、それはまたの機会になるでしょう。

その中で、大平台はスイッチバックの駅です。スイッチバックの駅といっても、配線の構造上、そうなっているものも多いなかで、この駅は掛け目無し、勾配を登る為にある、完全無欠のスイッチバック駅です。二つのホームとも行き止まりになっています。

20086213_w 山間の静かな駅に電車がやってきます。この電車は時刻表に無い臨時列車だそうです、そのせいか古い電車がやってきて、ワクワクしますね。

20086214_w 電車はここで上下の列車の交換をし、進行方向も変えます。入ってきた電車の最後尾にはアジサイ色の電車が連結されていました。今度はこの電車を先頭にして走ります。

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2008年6月 2日 (月)

小坂鉄道の休止

Img_3808_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

今月のJR東日本のサービス誌、トランベールに小坂の鉱山に関する記事があり、それを読むうちに行ってみたくなり、たまたま帰省する用もあったので、小坂の町を訪ねました。

アカシア祭りにはまだ時間があるものの、今年の陽気だと、小坂の町のニセアカシアはちょうど見ごろかも知れない、とも思いました。

さらに、小坂鉄道の三重連の貨物列車も、腕木信号の様子も気になる......。

ところが、小坂の町に着くと、鉄道は休止との張り紙があり、道路の一時停止も解除されておりました。こういう休止は、通常廃止を意味します。ついに来たのか、でもどうして、と思っていると、トランベールの記事を思い出しました。小坂精錬は新しく蒸気精錬の技術をつかって、世界で始めてPC基盤などから何種類もの金属を精錬する事業を行なう..。

土中の金属資源を掘り出して精錬するより、はるかに効率の良い「都市鉱山」から出る金属ゴミをリサイクルして金属を精錬して取り出す。素晴らしい技術は、貨物列車の廃止につながってしまったのです。

なぜなら、もう副産物の濃硫酸が出ないので、鉄道で運ぶ必要が無くなったのです。小坂鉄道がこの地で、貨物輸送の為だけに鉄道を維持していたのは、濃硫酸を安全に輸送するためだったのです。

残念なことですが、仕方がありません。ここはひとつ......この事業が大成功して、世界中の金属ゴミと精錬した金属がわんさか行きかい、それを運ぶために、貨物列車が復活することを望みましょう。

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2008年3月31日 (月)

赤いダースベーダー、OBB Taurus

Img_3267_w 旅行も終わり。後は、ウィーンの空港から帰るだけです。ウィーンの地図とかガイドを持っていなかったので一番オーソドックスなシティ エアー ターミナル(CAT)からの列車で空港に向かいます。CATは国鉄のMitte駅の側で、直結するMitte駅から空港直通の列車があります。この列車は国鉄の線路を走るものの運行する会社は別なので、ユーレイルパスでは乗れません。別料金が必要です。

大した設備があるわけでなく、またMitte自体がアクセスしにくいところなので、ウィーンと空港はバスか、普通の国鉄の列車の方が便利だと思います。ただ、帰路で、機内持ち込みをしない荷物があるならば、ここでチェックインした方が便利かも知れません。

実は、先ほどの列車もCAT(City Airport Train)と言って紛らわしいのですが、空港まで、二階建て客車をオーストリア国鉄の1016型機関車がプッシュして行きます。

なるべく1016型の音を良い状況で聞きたかったので、最後尾のロングシートに座ります。Img_2549_w 1016型機関車は、ジーメンス製のVVVF制御の高性能万用機関車のことで、交流25000Vにも対応する兄弟が1116型、さらに、左の写真にある、直流3000Vにも対応する兄弟が1216型と言います。いずれも外観は同じで愛称はトーラス(Taurus)。トーラスは牡牛座の事らしいのですが、どんな意味でこの名前がついたのでしょう。私に言わせれば、牡牛座というより、スターウォーズのダースベーダー。あえて、赤い彗星もとい、赤いダースベーダーと呼びたいところです。

さらにこの機関車はジーメンスのGTO素子式VVVFインバーター制御装置を使っているので、出発時には京急の2100系のように歌います。

京急の2100系は、同じジーメンスの制御装置でもチューニングが違うのか、ファソラシドレミファーと一気に歌いあがるのですが、トーラス型機関車は出だしがもっと低音で、しかも間延びしています。

京急2100系の音色も良いのですが、トーラスの音色はいかにも機関車らしく、力強く、トルクフルな感じで頼もしいものです。

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2008年3月29日 (土)

ウィーンとプラハを結ぶ鉄道

Img_2740_w ウィーンからプラハを往復します。本当は行きと帰りを別ルートにしたかったのですが、時間と料金を考えて往復にしました。またこの間には夜行列車も走っているのですが、これにしても個室寝台にすると今の時期ではホテルより高くなります。結局ウィーンのホテルに泊まって朝早くのオストゼーバート・ビンツ Ostseebad Binz 行きECに乗ることにしました。列車は出発してしばらくするとスロバキアとの国境付近のモラヴァ川の湿地を走ります。2007年の12月からチェコもスロバキアもシェンゲン協定に加盟してパスポートコントロールが無くなっておりますが、まだ、監視施設のようなものが見られます。

プラハに行くには、ユーレイルパスのほかにプラハエクステンションパスが必要になります。このパスはユーレイルパス圏内からチェコの国境を経てプラハにいたり、またその逆について有効です。セコイことを言えば国境までの距離が長いほどお得なので、ウィーンとプラハの間は価値があると思います。

朝6時すぎにウィーン南駅で乗る列車を探します、乗った車両はチェコ国鉄のものですが、なんとなくDBかOBBに似ております。新しく快適なのですが、似た塗装ばかりになるのは面白みにかけます。
牽引する機関車は確認できませんでしたが、1116系で間違いないでしょう。
車窓は広い穀倉地帯を走るか、ちょっとした森のなかを走るかどちらかです。美しい車窓ではありますが、変化に乏しいので自然に、駅に止まっている機関車や客車、貨車ばかりに目が行きます。

Img_2748_w チェコの電化は基本的に直流3000Vの電化で南部のオーストリアとの国境付近が交流25000Vです、そのためチェコに入るとBreclav で機関車は交換になります。チェコの電気機関車はClass1xxが直流Class2xxが交流、Class3xxが交直両用です。窓の外で止まっているClass230を見ると、大丈夫かよ、という気分になります。

Img_2770_w 実は、この列車はBrnoの駅で立ち往生してしまいました。しばらくして動き出しましたが、エンジントラブルがあったと放送が入りました。窓から先頭車を見ると電気機関車の重連で運転されております。ここの線形からみると、通常はこの程度の牽引で重連を組む必要はなさそうなので、明らかに1台は救援です。

Img_2827_w プラハに着いて早速見に行きましたが、後ろについていたのがCLASS350スロバキアの機関車です。この機関車は直流3000Vと交流25000Vの両用機関車で、「ゴリラ」の異名を持つハイパワーで、最高速も160Kmまで出せます。ただ全機がスロバキア国鉄に所属し、チェコ国鉄が保有する機関車ではありません。しかし、ECは要求が厳しいので、この線区を走れて、最もパワーのある機関車を借りて運用しているのでしょう。

Img_2826_w 前についていたのがチェコのCLASS363かその改良型の362、おそらく高速走行対応している362の方でしょう。

プラハでこの重連は外され、ここからドレスデンまでCLASS372か、高速走行改良型の371が牽引します。今度はDC3000VとAC15000Vの交直両用機関車が必要なのです。

Img_3090_w 翌日プラハからの帰りはスーパーシティという新鋭の特急電車でした。列車の名前はスメタナ号といい、車内放送のチャイムがモルダウをアレンジした曲です。このスーパーシティーの電車はClass680ペンドリーノと呼ぶのですが、どこかで聞いたことがあると思ったらイタリア鉄道の振り子電車です。基本設計はスイスに乗り入れるETR470をベースに、オーストリアとスロバキアに乗り入れるためDC3000V、AC15000V,AC25000Vの3電源に対応できます。

Img_3095_w 私はプラハからウィーンまで特に線形が悪いとは思えず、振り子電車の効果はどうよ、と思っていたのですが、少なくとも機関車の交換がない分、明らかにこの電車はメリットがあります。ファーストクラスに乗ると、飲み物やスナックのサービスがあって、得した気分になります。

Img_3113_w この写真は帰りの車窓に湖らしいものが見えたので撮ったものですが、vodni nadrzでしょうか。今回、チェコはこれで最後ですが、秋の景色も見てみたいものです。

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2008年3月28日 (金)

結局、本日はラッキーでした

Img_2684_w シュタイナッハ・イルドニング(Stainach-Irdning )を出た列車はゼルツタール(Selzthal)で方向を変えます、ゼルツタールは交通の要所であるらしく、蒸気機関車が保存されラウンドハウスも電化され電気機関車が休んでおります。

Img_2693_w 日本ではラウンドハウスを電化するなんて発想がないので、蒸気機関車時代に備えられていたラウンドハウスはほぼ全て取り壊されてしまいました。

Img_2698_w 列車はグラーツに到着します。グラーツはイタリアの影響を残した古都で国鉄駅からトラムで旧市街に入ると、時代をタイムスリップした感じがします。

Img_2706_w なかなか感じの良い街なので、もう少しゆっくり見たいのですが、自分は今日ウィーンのホテルに向かいます。ハルシュタットからの移動のトラブルが無ければもっとゆっくり出来たし、天気も良かったハズなのに残念だなぁ、なんて考えながら駅に着きました。

Img_2703_w 写真は教会の側にあった彫刻、とても気に入りました。雨ざらしになっているから、貴重な芸術品ということでは無いでしょうが。

すると、私の勘違いでウィーン行きのICはとっくに発車しております。今度は完全に私のミスです。仕方が無いので駅員に聞くと次のREXに乗れとのこと。そのローカル急行はウィーンに行くの?と聞いても、それが一番早いとの事だったのでとにかくそれに乗ります。

列車は準急のように、各駅に止まりはじめました。この調子で大丈夫かなぁ、と思っていると車掌がやってきて、「ウィーンに行くなら次の駅で乗り換えだよ」と言うので、「この列車が先にウィーンに着くのではないの?」と聞いたところ、「この列車は次の駅で折り返す」「グラーツの案内ではこれが先にウィーンに着くといっていた、時刻を書いた紙もある」「これ、途中で赤い字になっているでしょ。BruckでICに乗り換えればよかったんだ」。

オーストリア国鉄の乗務員は皆親切です。英語もしゃべります。これはすごいことなのですが、限界もあるのです。最後は自己責任なのです。

Img_2720_w 下ろされた駅の駅名ミュルツツーシュラーク(Mürzzuschlag)を記念として写真にとって、ホームを通過する貨物列車を眺めていると、構内の片隅に不思議な機関車が止まっておりました。多分、ここはゼメリング峠の手前。昔は交通の要所だったところだ。留置されている古い機関車は、昔、峠を越えるために使われたものにちがいありません。

ゼメリング鉄道は今回の旅行の計画を立てるとき検討はしてみたものの、ハルシュタットに負けたところでありました。こんな感じで近くに降ろされたのは、何かの因縁でしょうか。

Img_2725_w 寒いけど、得した気分だなぁ。と思っているとグラーツを2時間後にでたICがやってきました。穏やかな気分で乗り込み、すぐ食堂車に向かいビールと食事を頼み車窓を見ていると、はたしてゼメリング(Semmering)の駅を通過しました。食事とか充電とか列車で出来ることは全てやってしまえば、後は寝るだけ。いろいろあったけれどラッキーでした。

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2008年3月27日 (木)

ハルシュタットは綺麗でしたが

Img_2615_w 冬のハルシュタットへは本当はどう行くのが正しいのでしょう。この世界遺産にも登録された有名な観光地は、少なくとも冬の間はひっそりとしていて、静かにたたずんでおります。

そんなことは知らないので、とにかく、基本通り、アットナング・プッフハイム駅でハルシュタット方面に向かうローカル線に乗ります。ローカル線のわりにそれなりの編成ですから、途中で通勤通学用になるのでしょう。
Img_2579_w やがて、夜が徐々に明けてくると、いきなり湖と岩山が見えてきました。湖はトラウン湖、岩山はトラウンシュタット。山中で外はまだ暗いのに、子供たちがどんどん乗ってきて、また降りてゆきます。
Img_2595_w やがて、湖が遠ざかり川沿いに列車は走ります。この川はトラウン川というのだそうですが、美しい川です。川の名前から鱒と何か関係ありそうですが、渓流釣りでは有名な川のようです。

Img_2604_w 列車がとある駅に着くと、車掌さんがハルシュタットに行くならあのバスに乗れと叫びました。「え?」「あのバス?」「その後ろ」とにかく礼を言って言われたバスに乗ります。乗り方も解らなかったので「ハルシュタット」といって、持っているユーロの小銭を手のひらに載せて運転手に見せました。運転手はその中か適当につまんで運賃箱にいれて、バスは出発します。バスの中には通学の子供たちで満載です。あまり急だったので、駅の名前はみておりませんが、湖の手前なので、多分Steeg-Gosauだと思います。

Img_2606_w やがて、終点のバス停Hallstatt Lahn につき、バスをおりると目の前に素晴らしく美しく、静かな景色が飛び込みました。一通り景色をみて、帰りのために駅行きのボートを探します。ボートは見つかったものの全く動きそうな気配はありません。
Img_2626_w これは反対側の景色
Img_2625_w ボートはダメ、それならばさっきのバスはということで、バス亭にもどると一日数本のバスがあり、幸い9時55分にはどこかの駅行きのバスがあるようです。それまで村を散歩します。木と一緒に暮らしているような家がありました。
Img_2652_w 先ほどから見えている教会。
Img_2677_w やっとの思いで駅に着くと、今度は駅員が「汽車は終わったよ。」と言います。「列車は終わったって何?」「何処に行きたいの?」「Stainach-Irdning 」 「それならタクシーに乗れ」「いやだ列車を待つ」「だから列車は来ないって」「来ないってどういうこと?」「とりあえずタクシーに乗れ、料金はかからない。」この最後の料金がかからない、という言葉が決めてになって、タクシーに乗り、タクシーはさっきのハルシュタットを通り過ぎ、Steeg-Gosauで待つバスに連絡しました。このバスで終点まで乗れ、ということで着いたのはStainach-Irdning。予定を大幅に遅れております、そしてそこにはこんな張り紙。

Img_2634_w そういえば、湖の対岸の線路にこんなのがいたことを思い出します。

Img_2681_w 乗りたかったグラーツ行きICも出た後で、次の列車は2時間後。駅員がやってきました。「あの山はグリミング?だよ」「綺麗だね」「何処に行く?」「グラーツ、本当は前の列車に乗る予定だった」「もう行ってしまった、次は2時間後」事も無げに言います。次のグラーツ行きがやってきた時は本当に頼もしく思えました。

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2008年3月26日 (水)

ザルツブルグ夜行列車祭

Img_2530_w 写真は夜のチューリッヒ駅。今回の旅行で最後の夜行列車の旅が始まります。

欧州の国際夜行列車には殆ど愛称名が付いております。その愛称名が好きだからその列車に乗りたいか?Yesです。素敵な愛称名を持つ列車には行き先が何処であれ、乗って見たいのです。私が最も好きな列車の愛称名は、オリエントエクスプレス。今は豪華列車だったオリエントエクスプレスとは別物になったとしても、運行区間が大幅に短縮されても、オリエントエクスプレスと名乗る列車がある限り、それは魅力です。

Img_2547_w_2 本日チューリッヒからザルツブルクまで乗車する夜行列車はウインナーワルツァー号。しゃれた名前です、そして古くからある名門列車です。この列車はチューリッヒからウィーンを通り、その先ブタベストまで行きます。
名前はおしゃれですが、使われている車両は寄せ集めの感じがあって、統一性は全く無く、おしゃれな感じはありません。特にこの列車は以前CNLだったようで、寝台車は元CNLの二階建てのものが含まれます、現在はオーストリア国鉄籍のようですが、車体の色はCNLを踏襲した塗装です。

私が乗ったクシェットはオーストリア国鉄の車両。4人用のクシェットですがシーツ、毛布、枕が配置してあり、ペットボトルの飲料水も備わっております。なかなか快適そうです。スイスからの乗車なので列車が発車するとパスポートチェックがあり、車掌がチケットとともに預かって行きます。その時、飲み物は何が良い?と聞かれてちょっと面食らうのですが、これは明日、ザルツブルクで下車する手前に、パスポートと供に持ってきてくれるためです。

車掌が行ってしまうと、次に車掌がコンパートメントのドアをノックして起こしてくれるまで記憶がありません。爆睡してました。起きてみるとルームメイトたちは眠りが浅いか寝ていない様子。邪魔しないよう、素早く仕度してコンパートメントを出て食事をします。オーストリア国鉄のクシェットの朝食は、はっきりいってイタリア鉄道の一等コンパートメントの食事をはるかに凌駕しております。今回寝台列車に3回乗りましたが、一番格下のこの2等クシェットが一番良かった。列車がザルツブルグに着くともう、祭りは始まっておりました。

Img_2551_w ウインナーワルツァー号
この列車はスイスのブックス(Buchs)で進行方向と機関車が変っており、列車が2番A線に到着すると、最後尾に付いていたプラハ行きが静かにきりはなされてウィーンに向かって発車します。

Img_2553_w カールマーン・イムレ号リシンスキー号
反対側にはブカレストから来たEN268カールマーン・イムレ号と、ザグレブから来たEN269リシンスキー号がここで連結されて発車を待っております。

Img_2560_w EN269は通常D269として表記されますが、ザグレブから来た車両にはEN269Lisinskiと書かれており、クロアチア生まれの作曲家に敬意を表してリシンスキー号と呼ばせてもらいます。

Img_2556_w_2 前の方がEN268で、車両はハンガリー国鉄の青っぽいものが目に付きますが、紫色のものはルーマニア国鉄のもの、その後の白い車両からEN269クロアチア国鉄の車両が続きます。特にルーマニアの車両はブカレストを前日の朝の5時にでているハズですから、かなりの長旅です。

Img_2563_w D206
ウインナーワルツにチューリッヒから連結されてきたプラハ行きD206はここで切り離されて、1番線に向かいます。1番線にはベネチアから来たD206が待っていて、最後尾に連結されてプラハに向かいます。
これでこの列車はチェコ国鉄、イタリア鉄道、オーストリア国鉄の車両で構成された列車になるのですが、これから先お昼の12時近くまでかかってプラハに付きます。列車番号がユーロナイトでない理由がわかるような気がします

Img_2567_w ドン ジョバンニ号
私は、ここからハルシュタットに向かうため5番線に停車中のIC849に乗り換えますが、IC849の後ろにはベネチアから来たEN236ウィーン行キアレグロナイト、ドン ジョバンニ号が連結連結されております。つまり、国際寝台夜行列車に昼行車両をつけて、国内特急として運用するのです。

実はあと9分まてば、ストラスブルグから来たオリエントエクスプレスが到着し、これを見て5時25分のICに乗れば、ハルシュタットには当初の予定より30分遅れて8時44分に着いたのです。ただ、本日は、不確定な部分が多く、オーソドックスに、「王道乗り換え」コースを選びました。

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2008年3月25日 (火)

氷河急行に乗りました、一応

Img_2446_w ドモドッセラから盆地の縁を駆け上がり山の中に入ったと思うと、まもなくシンプロントンネルに入ります。この間車内でパスポートのチェックがあります。トンネルを抜けるとすぐブリーグ(Brig)駅。駅は、カーブしてからあるので、ホームからトンネルは見えません、そのかわりアルプスの山々は綺麗に見えます。写真はダブルデッカーのICをプッシュする機関車におまけでついている車両。

Img_2462_w MGB(マッターホルン ゴッタルド鉄道)のブリーグ駅は、国鉄駅の前に路面電車の乗降所のような風情であります。この鉄道はユーレイルパスが使えないので切符を買わなければならないのですがMGBの駅では買えそうもないので国鉄駅で聞いてみたところ、「全く問題なし、ここで買えるよ」、ということでしたので、ツエルマットの往復切符を買いました。日本の鉄道に比べると少し高い気がするのですが、私が使うビックマック指数(各国のマクドナルドのビックマックの価格で物価の違いを測る)で考えると、順当な値段かも知れません。

Img_2467_w ブリーグには氷河急行は15:28に発車します。MGBの機関車は氷河急行の牽引車は正面にステッカーをつけております。最後尾の2等車に乗り込むと、いかにも観光列車という雰囲気です。パンフレットがおいてあり、ビニールの小袋に入ったイアホンがあります。これをジャックに挿すと各国の言葉で案内が聞けます。

Img_2471_w 噂ではブリーグからツエルマットまでは氷河急行も普通列車扱いで予約なしで乗れるらしいとのことでしたので、何も気にせず乗っていると車掌の検札が来ました。「ツエルマットまでは30分置きに列車を運行しております」「そうですか」「そしてこの列車は特別な車両を使っております」「豪華ですね」「それで...」「それで?」「申し訳ないけど10SF払って欲しい」「それは良いけど、この席で良いの?」「結構です」ということで、指定席料10SFを徴収されました。

Img_2497_w 列車は豪華ですが、私としては窓の映りこみが厳しくて、車窓の写真が撮りにくい事が辛いです。さらに対向列車がスキー客で込み合う時間なので、遅れがどんどん酷くなって行きます。結局ツエルマットには30分遅れで着きました。ツエルマットは車の乗り入れが禁止されているので、スキー客も途中駅の駐車場に車を置いて、MGBの列車でスキー場に向かいます。こちらはスキーを担いで、スキー靴をはいたまま列車に乗るので、乗降に手間取り、さらに単線なので、スキー客が帰りだす頃になると、雪だるま式に遅れがかさんで行くのです。

氷河急行で近くの席に座っていたおじさんが話しかけてきました。「日本から来たのか?」「そうです」「日本の何処から?」「横浜と言って東京の隣の港町から来ました」「ツエルマットには何日滞在するの?」「この列車に乗るために来たので、すぐ帰ります」「今日はこれからチューリッヒに行って、夜行列車でザルツブルクまで行く予定です」「.....」。ツエルマットへの往復切符は少々高いのですが、こんな客は想定していないのでしょう。

Img_2502_w 当初の予定ではツエルマットの先の登山電車にでも乗るつもりでした。しかし、そのスケジュールはちょっと厳しそうなので、あきらめて早々とビスプに退散です。

Img_2509_w この時は、もう一つ大切なことがありました。バッテリーの充電を何処でするかです。もうバッテリーがありません。今日の泊まりが夜行列車であることを考えるとなるべく、チューリッヒまでのアクセスを最新の車両に乗って行って、バッテリー充電のチャンスをつかみたいのです。そのためにもビソプに早く着きたかったのです。

Img_2511_w ビソプの夕暮れ良いでしょう、もう一枚。ラップ機関車の重連による貨物列車です。

Img_2513_w 駅で聞いてみると、チューリッヒ行きのダブルデッカーのICなら電源が使えるとのこ。時間を聞いてこれに乗り込むと、二階の各車両の両端に電源のジャックがありました。おそらく社内清掃の為に付けたものなのでしょうが、PCユーザーに開放しております。バッテリーの充電が出来ると心に余裕ができます。あらためてこのダブルデッカーのICを見ると、面白いです。2階が通路になっていてワゴンサースがガラガラと行き交うのです。車両の両端は座席より下げてスロープにしてあります。

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2008年3月24日 (月)

百の谷鉄道

Img_2342_w チェントヴァッリは百の谷という意味ですから、チェントヴァッリ鉄道は百の谷鉄道と言えるでしょう。個人的には、これが百でなく千で「千の谷鉄道」ならば、日本でもっと人気が出たのに、惜しいなぁ、と思います。日本的な感覚では、100は「無数」的な感覚は薄いものの、1000だと「無数」の感覚になり、谷がいっぱいあるんだよ、と言った、こちらでの意味により近い感覚になります。

この鉄道はスイスのロカルノ(locarno)とイタリアのドモドッソラ(Domodossola)を結ぶ鉄道ですが、正式にはスイス側がFartイタリア側がSSIFという私鉄です。そのスイス側の起点のロカルノですが、この街はスイスの街というより、イタリアの街に近い感じがします。写真は駅前からロカルノ湖を写したものですが、対岸にある山がなければ、そのままリベエラ海岸の街です。暖かく、太陽がまぶしい。

Img_2339_w 国鉄のロカルノ駅はこんな感じ、プッシュ プルの折り返しではなく、前の列車の機関車が待機線で待ち次の列車の先頭に立って牽いて行きます。

Img_2363_w チェントヴァッリ鉄道のロカルノ駅は国鉄駅の地下にあります。電車は2両連接の江ノ電のような感じです。江ノ電との違いは1等、2等がありボックスシートなこと、トイレがあること等です。路面電車風ではありますが、50Kmちょっとを2時間弱で結ぶ中距離電車です。

Img_2370_w 私が乗ったのはスイス側のFartの車両ですが、ドアの窓ガラスが下の方まで大きく開いているのが特徴的です。

Img_2374_w 電車はロカルノを出ると路面電車風に街中をはしりますが、やがてロカルノ湖に注ぐ川沿いに沢を上って行きます。ロカルノを出る列車は左側が谷、右側が山側で進むので座席は左側が良いようです。

Img_2396_w ある程度勾配を登ると川はだんだん深い谷底を流れるようになります。デッキのドアの窓ガラスがこの辺りで本領を発揮して、谷底がそこから良く見えます。
ドアにはドイツ語とイタリア語で「寄りかかるな」と書いておりますが、そんな気には到底なれません。

Img_2413_w こっちの写真の方が高度感があるかも。

やがて列車は高原状の地形に出て、いくつかの村の中を通り抜けます。

Img_2431_w 今度は、右側を谷に左側を山にしてドモドッソルに向かって降りて行きます。ドモドッソル側はロカルノ側より展望が開けていて、右手の遠くにはアルプスが見える感じです。
やがて谷筋から尾根筋にでて、尾根を九十九折に降りて行きます。尾根を下るにつれて、車窓にはのどかな田園風景が現れてきます。この写真は左側の窓から撮ったものです、左の窓から右の車窓が撮れてしまうのです。

Img_2440_w そのうち平地を走る線路が左に見えてくると、列車は左に大きくヘヤピンカーブして山を下り、ドモドッソラに入って行きます。この先の駅に対向電車が入ってきました。SSIFの電車のようです。

Img_2442_w 良く見ると電車の後に2軸の客車を連結しているような。乗りたいなぁ。

ドモドッソラの街は古い、田舎の小都市に感じられます。観光都市のロカルノから着くとより素朴に見えます。しかし鉄道駅のホームに出ると、交通の要所であることが一目両全です。スイスやドイツの交流機関車とイタリアの直流機関車がワンサカおります。ここはイタリアですが、シンプロントンネルの向こうのブリーグ(Brig)からこの駅までスイス国鉄が運行を担当していて、この駅で運行が分かれるのです。

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2008年3月23日 (日)

憧れのゴッタルド峠

Img_2171_w マッターホルン・ゴッタルド鉄道でゲシュネン(Goschenen)に着くと、道路と国鉄の駅舎の間みたいな所に着きます。本日の宿泊はトンネルを挟んで向こう側のアイロロですが、一旦反対側のエルストフェルトまで峠を下ります。エルストフェルト(Erstfeld)には峠を越えるための機関区、貨車の列、そしてクロコダイルというこの峠の為に開発された古典的電気機関車の名機が保存されているのです。表題の写真はホームに上るやいなやゴッタルドトンネルを抜けてきたRe420とRe620重連が牽く貨物列車。ワクワクしてきます。左手はアイロロ(Airolo)に向かう快速列車、右はMGBの軌道。

Img_2198_w クロコダイルです。

Img_2184_w スイス国鉄名物の展望一等車に乗って、ゴッタルド峠北側の車窓を楽しみます。この間にはループの他に連続Ωカーブがあるのですが、列車は結構軽快に降りてゆきます。この日は長時間列車に乗っていたので、この列車では進行方向左手の山側に座ってしまいました。感覚が鈍ってきております。この写真は後追いで谷を写しているので、Ωカーブを周ってゲシュネン方向に走っている時ですね。

Img_2228_w 今度は今来た道を引き返し、トンネルをくぐり、トンネルをぬけたアイロロで宿泊します。アイロロは小さな町ですが、近くにスキー場がある為か、駅前にホテルが数件あります。ゴッタルド峠を通過する貨物列車を見ながら食事が出来、また列車の音を聞きながら眠ることが出来ます。写真は朝食のテーブル、窓の外は、DBの機関車が重連で貨物列車を牽いて通過します。

Img_2269_w アイロロを発車すると、列車はループ線を降りて行きます、この区間で一番有名な箇所はジョルニコ(Giornico)の三段ループなのですが、あれだったかな、これかなと思っていると列車はファルド(Faldo)に到着。駅の地形を見ると何となく、これからだ、と言う気になります。果たして右手の車窓に、はるか下を走る線路が光っっているのが見えます。これです。一回り目、上は見る余裕はありませんが、下の線路は先ほどよりはっきり見えます。

Img_2275_w 二周り目を終えて上を見ると、二重に渦巻く線路がはっきり見えます。これで高速道路の橋げたがなければ最高なのに。

Img_2289_w この三段ループが終わると列車はさらに高度を下げますが、もう普通の勾配です。途中、駅の横に大きな滝が落下する、ビアスカ(Biasca)を出ると次が峠の終点ベリンツォーナです。ビアスカの手前には古い機関車が大量に留置されていて驚きました。列車のなかからなのでちゃんとした写真は撮れませんが、Ae4/7という一昔前のゴッタルド峠用の機関車のようです。

Img_2304_w ベリンツォーナの街はとても美しいのですが、駅の跨線橋からの眺めも良いですよ。

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2008年3月22日 (土)

RhBからMGBへ

Img_2053_w 夏の最盛期でも氷河急行とベルニナ急行を一日で乗るのは無理です。しかし、列車にこだわらなければ、一日で同じ路線に乗ることは可能です。ただ、全線に乗るのは長いので、今回はそんな無謀なことはやめて、全線の3/4を2日に分けて乗ります。

そのうち、最後のブリーグからツェルマットまでの間が本当の氷河急行に乗ることになります。

最初はサンモリッツからクール行きの列車に乗ります。この間の定期列車は冬の間、夏季には氷河急行として使われるパノラマ車両や食堂車が連結されていてお得感があります。写真はサンモリッツを目指す氷河急行。

Img_1987_w サンモリッツを出ると、列車はアルブラトンネルを抜けます、このトンネルの峠が分水嶺になっているらしく、天気もここで変ります。ベルニナ方面が快晴、サンモリッツ付近で曇が多くなり、トンネルを抜けると雪でした。列車も高度を下げるために右に左にスパイラルしたループ線を降りて行きます。

Img_2002_w フィリズール(Filsur)駅を発車してトンネルをくぐったらすぐ、氷河急行のポスターで有名なランドバッサー橋を渡るのですが、あれよあれよという間に過ぎてしまいます。この橋を走る列車の走行写真は主に逆方向から橋を渡ってトンネルに入る直前の機関車を後ろの客車から撮る感じが多く、写真をイメージしていると、えっ!今のところがそうなのかい?と後ろを向いて確認することになります。

Img_2013_w 列車が高度をさげると、写真では左手に見えるライヒェナウ(Reichenau)駅に着きます。ここで、ディセンティス(Disentis)行きに乗り換えます。左に見える列車はディセンティスからクールに向かう列車です。氷河急行の時刻表を見ると山から下りて最初に停車する時は停車扱いにせず、クール(Chur)から折り返して二度目にこの駅に停車した時が正式な停車扱いにしています。

Img_2038_w この駅を出ると列車はライン川に沿って走ります。ところどころ視界がひらけ小さな町があらわれます。

Img_2086_w 牧場を登って降りると、ディセンティス(Disentis)。正式にはディセンティス/ミュステア駅(Disentis/Mustér)後のミュステアはロマンシュ語で「修道院」という意味だそうです、駅の後ろに見えるのがそうでしょうか。、ここが終点です。反対側のホームにはマッターホルン ゴッタルト鉄道のアンデルマット(Andermatt)行きが待っています。

Img_2098_w Disentisを発車した列車はしばらくはなだらかな丘陵を登りますがやがてアプトの区間に入り、スキー場が近くに見えるようになります。オーバーアルプ峠に向かって登っているのです。

Img_2103_w ここからは、この列車はスキー客の乗り降りが激しく成ります。スキー場間の移動かあるいはリフト代わりになっているのかも知れません。いきなり車を積んだ貨車が連結されたりします。このあたり、鉄道への考え方が自由で愉快になります。ちなみに、この貨車は後ろにレールを走るように改造したトラックが付いていて、列車が駅に到着するとすぐに左に見える最後部に連結されました。

Img_2124_w 天候はふぶきに変わり、先頭の機関車も見えづらくなってきました。このあたり夏はオーバーアルプ湖なのでしょう。

Img_2130_w アンデルマットの手前の駅でスキー客は大量に降ります。駅を降りるとすぐスキーを履いて滑って行きます。

Img_2139_w 列車は急な勾配を九十九折に降りてアンデルマットに着きます。ここで各方面にまた、乗り換えです。地図でみると、この駅でスイス国鉄と交差してますが、300mほどの差で立体交差しております。スイス国鉄に乗るには、アンデルマットからはゲシェネン(Goschenen)まで一駅ですが、乗り換えが必要です。

Img_2160_w 一駅であっても大変な勾配があるので、列車はアプト式の鉄道をゆっくり降りてゆきます。急峻な谷に沿って走るので一駅とは思えない密度で車窓が楽しめます。写真はゲッシュネンの駅に入場するところ、ぎりぎりまでアプトのラックが敷かれており、写真を見ただけでも勾配がきついことが解ります。

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2008年3月21日 (金)

これは器物損壊事件です

本日の時事通信のニュースから

’大阪市営地下鉄堺筋線の車両の外板に、スプレーで幅約7メートルにわたって落書きがされていたことが21日、分かった。市交通局は、落書きに気付かないまま約1時間運行させていた。同局は府警吹田署に被害届を提出、同署が器物損壊事件として調べている。’

この落書きの写真を見ましたが、欧州のどの鉄道にもあるものと一緒です。欧州の鉄道では、いったい誰が始めたのでしょう、なぜ、蔓延したのでしょう。

あの悲劇が起こらぬように、しっかり犯人を調べて、刑事罰が下されるよう願います。

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2008年3月20日 (木)

ベルニナ急行の早春

Img_1968_w Pontresina駅でベルニナ急行D970とD953の交換
ベルニナ急行はイタリアのチラノとスイス方面を結ぶベルニナ線の電車にパノラマ客車を増結した場合、その客車のことを指します。増結車両のため、小さな途中駅では乗り降りが出来ないので止まってもこの車両は通過扱いなので、時間はかかっても急行なのです。時刻表にも列車番号にDが付きます。

この路線に乗るにはチラノから出発するほうが、より感動が深いと思われます。山に登るにはより標高の低いところから登るほうが面白いからで、ティラノはアルプスのふもとにあるとしても、まだ標高は420m程度です。
ここから路線の中で一番標高の高いオスピッツォ・ベルニナまでは1800mの標高差がありのです。

Img_1847_w ティラノを発車してから村の路面電車風の景色が続きます。良い感じです。まもなく、この線区の目玉の一つカンパッシオとブルジオの間の
オープンループが迫ってきます。進行方向の左側に陣取って観察します。ループを持つ路線は日本でも幾つかありますが、これだけ小さな半径でしかも
美しい石橋の開放されたループは初めて見ます。この写真は1/125でシャッターがきれた割にブレておりますね。ど下手の写真ですが、ジオラマっぽく雰囲気がでています。

Img_1866_w 次の見せ場はミララーゴ(Miralago)からレ・プレーゼ(Le Prese)までのポスキアーヴォ湖の湖畔。ふもとの村は早春の気配なのですが、ここまででもかなり登攀しており、湖は凍結したままです。

Img_1871_w 列車は行き違い施設のあるポスキアーヴォ(Poschiavo)で停車しました。停車時間が長いので列車の行き違いがあるのでしょう。やがて、遠くの山の斜面に赤い電車が見えます。えっ、あれっ?とおもっていると、この電車は右に左に視界に出入りしながらやがて大きくなって駅に侵入します。

Img_1884_w 電車は貨車を後ろにつけた混合列車です。今乗っている列車も後ろにつけた回送の2等車を切り離しました。これからこの駅で入れ替えをして編成を変えるのでしょうか。

Img_1900_w この列車は今度は先の電車が下りてきた線路を登ります。最大70パーミル最小半径45mのカーブを持つ区間を、右に左に登って行くと、村と湖が小さく小さくなって行きます。

Img_1923_w やがて森林限界を超えるとアルプスの峰峰が迫ります。アルプグリュム(Alp Grüm )の駅で、駅というかレストランというか、背景の山の左手にはパリュー氷河かなぁ。

Img_1945_w ここが最高点の駅オスピッツォ・ベルニナ(Ospizio Bernina)駅。お嬢さん、ちょっと出遅れてしまったのでしょうか。走ってます。頑張れ。

Img_1950_w オスピッツォ・ベルニナを過ぎると真正面にカンブレナ氷河を見て進みます。夏なら左手にラーゴ・ビアンコ湖が見えるハズ。

Img_1959_w ベルニナ・ディアヴォレッツア(Bernina Diavolezza)に到着、冬はスキー場、夏は展望台になるロープウェイに連絡します。

Img_1964_w ベルニナ急行から見える三つ目の氷河のモルテラッチュ氷河ですが、残念ながらはっきりした写真は無く、この写真で列車の陰になっているところがそうだと思います。実は氷河の名前や位置を事前に知っていた訳ではなく、氷河っぽい車窓が見えたら写真を撮っていたのです。後からしらべるとモルテラッチュ氷河とベルニナ急行を収める有名な撮影ポイントがあるみたいですね。

Img_1970_w ポントレジーナ(Pontresina)はターミナルになっていて、クール方面に急ぐ人は乗り換えです。スキー場を背景にしたサンモリッツの駅がこの列車の終点です。

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2008年3月19日 (水)

ミラノからティラノまでのローカル線

Img_1777_w 前日は、ベネチアからベローナを経てミラノまで、定番観光コースを移動したので、列車に乗っていた時間はそれほど長くありません。本日はミラノからアイロロまで、ベルニナ線でアルプスを越えゴッタルトトンネルで戻ってくるので朝早くから夜まで、殆ど乗りっぱなしです。

ミラノを5時に出た各駅停車はベルニナ急行の始発駅であるティラノまで約3時間半かけて走ります。時間が無く電気機関車の形式は確認出来ませんでしたが、なかなか長大な編成です。途中で通勤、通学列車になるのでしょう。

この線区はベルニナ急行へのアクセスで使用されることも多いハズですが、列車の本数が少ない為かあまりポピュラーではありません。それでも見所の多い線区です。

Img_1766_w ミラノを発車した列車は夜明け前ということもあって、しばらくは見所もありません。しかしレッコLeccoからコリコColicoまではコモ湖が見えます。地図では結構湖畔を走っているのですが、トンネルのところが多く、実際に見える場所は限られます。特に写真を撮ろうとする時に限ってトンネルで蹴られたりするのです。

Img_1797_w コリコからは学生が沢山乗ってきました。ファーストクラスにまで溢れて来ます。車掌もよく解っていて検札に来ません。テストの季節なのか列車のなかで問題を出し合って勉強しています

Img_1801_w ソンドリオSondorioはワインの名産地、こんな感じのブドウ畑のブドウで作ったワインは美味しいに決まっている

Img_1802_w ソンドリオでは人がワラワラと降りて行きます

Img_1805_w ソンドリオで旧型客車と機関車の一群を発見、途中下車したいけど、出来ない。もどかしい

Img_1813_w ソンドリオからは山が迫ってきます。ところどころに教会とお城のような建物が見えます

Img_1819_w_2 終点のティラノTirano左がイタリア鉄道の駅、正面がレーティッシェ鉄道ベルニナ線の駅、この駅の構内はスイスの扱いでパスポートチェックがあります

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2008年3月17日 (月)

ベネチアの朝

Img_1501_w 地図も無く、言葉も解らないまま、意気揚々とベネチアサンタルチアの駅から街めぐりに出かけました。元気に歩いたのは最初の一時間だけ後は、後はただ迷って彷徨っていただけです。なので撮った写真を漫然と並べるだけですが。

Img_1534_w ゴミ収集車ならぬゴミ収集船、クレーンで台車を下ろします。今日は燃えるゴミの日でしょうか?

Img_1535_w 後は台車を押してひたすら歩いてゴミを収集します。

Img_1569_w この船、いかにも重い荷物を運ぶのが得意そうです。

Img_1539_w 瓦礫を手押し車で船に運んでは積んで行きます。

Img_1597_w 倉庫からの出荷にはクレーンを使います

Img_1588_w カーブには当然カーブミラーがあります。

Img_1586_w コーナリングは操舵とエンジン出力の調整で行います。スクリューの軌跡を見るとギリギリで曲がっていることがわかります。誰もが自分のコーナリングテクはベネチアで一番、と思っているかも。

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2008年3月16日 (日)

ユーロスターシティーとETR500

Img_1605_w ベネチア サンタルチア駅には様々な列車が出入りします。その中で現代のスターはユーロスターイタリアのETR500でしょう。ユーロスターイタリアはイタリア国内の新幹線に相当しますが、ロンドンとパリを結ぶユーロスターと名前を巡って争い、これに負け、ユーロスターのロゴに小さくイタリアを追加しています。しかし列車の表記はESを使います。

またこのETRというのは特急電車の意味で、イタリア鉄道の車両史上もっとも有名なTEEのセッテベロ号はETR300と言いました。その後ETR450,460,470,480を経て最新がETR500です。ところで、ETR500は正確に言うと電車ではなく前後を機関車で客車を挟んだ集中動力TGVタイプの列車です。今開発中のETR600はまた電車になりそうですから、長い歴史を振り返ると、あの時のETR500は鬼っ子だったなぁと言われる日がくるかもしれません。

これは憶測ですが、ETR500がこの形になったのは、時速300KM運転へのこだわりがあったと思います。イタリアは基本的に電化区間は直流3000Vですが、営業運転で時速300KMを保障するには、パワー不足です。そのためDirettissima(ディレッティシマ)という高速新線はローマ、ナポリ間、ミラノ、トレノ間で交流25000Vの電化がされるようになりました。この新線区間で時速300Kmを出す為に、交直両用機関車で空力特性に優れた客車を挟むことにしたのだと思います。この両区間の高速列車は特にAVと呼ばれ他のESと区別されております。
他のESがETR460,480で運行される可能性があるのに対し、AVはETR500だけで運行されます。交流25000V区間がある為です。

Img_1609_w ところで、イタリアの幹線ではETR500と良く似たユーロスターシティーという列車が走っております。ESc97xx番台をつけてEScとして、あるいは普通のICとしてこの車両がやってきます。実は良く似ているハズでユーロスターシティーの機関車は以前ETR500につけられていたものだったのです。当初ETR500の機関車は直流機関車の414型をつけておりましたが、それを交直両用機関車の404型に取り替えたのです。こうして余剰になった直流機関車414型で既存のインターシティー用車両の更新車を挟んでユーロスターシティーが生まれた次第です。

Img_1662_w この二つの機関車は外観が404型がよりアエロボディーになっている他、決定的にパンタグラフが違うので容易に区別がつきます。404はシングルアーム414がひし形のパンタグラフです。

乗り心地は車両が大きい分ユーロスターシティの方が良いような気がするのですが、どうでしょう。少なくても特別料金が必要でないICでこの車両が来たら大喜びです。デジカメのバッテリーの充電もできるし。

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2008年3月15日 (土)

リベエラ ナイトトレイン

Img_1469_w (ベネチア サンタルチアに到着した列車、最後尾がトレニタリアの個室寝台車)

ニースとベネチア、ローマを結ぶ夜行列車を特にリベエラ ナイトトレインと呼びます。列車の愛称名はモンテカルロ号。ニースを出たモンテカルロ号はジェノバでベネチア行きとローマ行きに別れ、ベネチア行きはその先のベローナでミュンヘンから来たCNLを前に連結してベネチアに向かいます。

Img_1404_w (ニース駅の電光掲示板、369列車の案内があります)

鉄道おたく風に言うと、ニース発ローマ行きEN369の一部がジェノバからMilano Rogoredo行きEN362として分離し、Milano RogoredoからベネチアまでEN363として走ります。

停車扱いになっていないMilano Rogoredoで列車番号が変わるのはちょっと面白いですね。何があるのか見てやろうと思っていましたが。出発早々寝てしまいました。起きたのはベローナを過ぎてから。寝ながら移動するのが寝台車なので、まあ良かったかと。

Img_1431_w (個室の内部)

Img_1434_w (上段の寝台の裏には名画?が描かれています)

リベエラ ナイトトレインといっても特別な車両が使われているわけではなく、通常のトレニタリアの寝台車が使われております。ただどちらの方向に向かうにしても朝の車窓は素晴らしく美しいので、リベエラ ナイトと名前を付けられる価値はあると思われます。私は特に、ベネチア サンタルチア駅に向かう時、海を渡る橋が見たくてこの列車にのりました。

Img_1453_w (ベローナを出ると、朝霧に包まれます。最後尾のデッキから過ぎてゆく景色が見られるのは客車の醍醐味)

ところで、この列車は、ニースからジェノバまでローマ行き車両を先頭にして走り、その後にベネチア行きの個室寝台車両が続きます。ベネチア サンタルチアは行き止まりの駅なので当然、ローマ行きを切り離した後、この車両の先に機関車をつけてベネチアに向かうものと思っておりましたが、起きてみたら進行方向が変わっていて、この車両が最後尾でありました。

Img_1468_w 今思えば、ミュンヘンから来てベローナで3時間もこの列車の到着を待っているCNLを先頭につけてあげるのは当然の配慮なのですが、私にとっては嬉しい誤算です。おかげでデッキからのパノラマをみることが出来ました。ただ、肝心の本土とベネチアを結ぶ橋は、複々線の線路と道路を併設しており、幅が広く、橋というより陸地に見えます。

Img_1493_w 橋は思ったほどのインパクトはありませんでしたが、駅前がすぐに大運河となっているベネチア サンタルチアの駅はなかなか感動ものでした。

Img_1483_w (もう切り離されておりますが、牽引機はE402B、交直両用の旅客急行専用機です)

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2008年3月14日 (金)

最初の失敗

Img_1192_w この日の予定。(写真はBreil-sur-Roya  8:30、右の気動車に乗って来て、真中の気動車に乗り換えるハズでした)
Station/Stop  Date Time 
Nice-Ville             dep 7:20   RegioExpress,
Breil-sur-Roya      arr 8:21  RE 81309 
Breil-sur-Roya      dep 8:39   RegioExpress,
Tende                  arr 9:08  RE 22968 
Tende                  dep 9:57   RegioExpress
Ventimiglia            arr 10:45  RE 22995 
Ventimiglia            dep 10:58   EuroCity,
Genova P. Principe arr 13:06  EC 139 
Genova P. Principe dep 13:47   InterCity, GP
Monterosso           arr 15:02  IC 653 
Monterosso           dep 15:24   Regio,
Manarola               arr 15:36  R 24515 
Riomaggiore           dep 17:09   Regio,
Ventimiglia             arr 22:04  R 11299 
Ventimiglia             dep 22:45   EN 369 EuroNight

ところが一つのミスによって計画は大崩。ホテルでデジカメのバッテリーを充電していて忘れたことに気がついたのです。気動車に乗ってわりとすぐ気がついたので列車の交換を待ってニースに引き換えすつもりでしたが結局、終着駅まで反対列車は来ず。ニースに戻るには何が早い?と聞いたところこの列車の折り返しに乗れとのこと。時間的に当初のスケジュールは全滅です。

Img_1219_w (帰りの車内から、美しい山間の村)

それでもニースのホテルに戻りバッテリーチャージャーも無事回収出来ました。もともとのスケジュールが数百キロ先まで行って戻ってくるというお馬鹿なものだったので、今日の計画が倒れても明日には影響しません。良い注意喚起になりました。せっかく時間が出来たのでヴァンティミグリラに行ってみることにします。そこにはきっとフランスの機関車とイタリアの機関車がうようよしているハズですから。

Img_1283_w 移動の途中に周りの乗客が殆ど降りる駅があり、つられておりてみるとマントンという街でどうもレモン祭りをやっているようでした。このコートダジュールのあたりは、今の時期お祭りが多いのでしょうか。
街ものどかで、こじんまりしていて良い感じです。街のなかには柑橘の木が沢山植えてあり、オレンジの実がなったままになっております。この街の5月は、これだけのオレンジの木に花が咲いた様子を想像すると、どんな香りに包まれるか、想像するだけでわくわくします。

マントンから一つでヴァンティミグリラ。この2つの街がフランスとイタリアの国境の町になります。国境の町といってもどちらものどかで穏やかです。それでも国が違うせいか街の感じはすこし異なります。

Img_1351_w (ヴァンティミグリラの駅前ロータリー、地中海はすぐそこ)

ヴァンティミグリラの街はよりエキゾチックな感じがするし、何より駅を出るとすぐ地中海が見えます。

Img_1326_w_2 (河口の橋を渡って海に出ます、山側には雪をかぶったアルプス)

5分もあるけば海に出れます。3月になったばかりの日曜日ですが気温は高く、小石のビーチではビキニの女性が甲羅干しをしており、水温も思ったより高めでした。

Img_1334_w (小石のビーチです)

同じリベエラでも天候は異なるのか、イタリア方面は厚い雲に覆われております。結果的に良かった。と思うことにしました。

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2008年3月12日 (水)

青列車(トランブルー)の後継者達-2

Img_0953_w ニース駅に到着するルネア。やはりSNCFはこの拳骨型BB22000が似合います。

昔のフランス車には独特の空を飛ぶような乗り心地があったみたいなことを聞きます。ふわふわして、車としては心もとなく、危なっかしいものだったとしても。

70年代に生まれた、特急用の車両のCorail Lunéa(コラーユ・ルネア)にもこのフランスの柔らかい乗り心地のこだわりがあるように思えます。フランス国鉄は電車化したTGVの開発を進めて、さらに早い鉄道を目指しているようですが、新しい特急用の客車や寝台車はもう開発することは無いのかも知れません。できれば、個室寝台車を作って運用に復活させてもらいたいものだと思っております。

というのは、現在のコラーユ・ルネアは一等も二等もクシェットと呼ばれる横たわることの出来る座席の設定だけで個室寝台の運行はありません。クシェットというのは日本で言えば「ごろんとシート」であり、男女の区別なく4名1部屋のコンパートメントで雑魚寝をすることになります。これは運送効率は良いものの夜行列車の旅を楽しむためにはいささか不便なものなのです。

今回ナンシーを21:33の発車でしたが、コンパートメントの中はすでに真っ暗。ドアを開けると通路からの光が差し込みご婦人が2名横たわっているのが見えました。怪訝そうな顔で見られたのでチケットを見せると、下段を指差し、また横になりましたが、正式な乗客であることが解ってすこしは安心してくれたようでした。列車が発車して車掌の検札が終わると、またコンパートメントの中は真っ暗、ドアは内側から二重ロックで施錠するので、トイレに立つのも気が引けます。ドアの開閉でうるさいのと、暗室に光が差し込むからです。個室寝台であれば、こんな気を使わないですむし、また列車が止まればブラインドをあけて窓の外をみることも出来るのですが、クシェットではそれが出来ません。

Img_0925_w_2 今回の乗車の楽しみに地中海の夜明けを車窓から見ることがありましたが、ちょっと方法を考えなければなりません。ニースに向かう列車は進行方向の右側に地中海をみることが出来ます。またその時列車は西から東に向かってはしることに成ります。欧州の列車は途中進行方向を何度も変えるので自分の乗った寝台車がその時寝台側が右か通路が右かは運次第。クシェットの場合、通路に出て車窓を見るしか無いので、コンパートメントを右側にして走っていると、車窓を見れる場所はデッキに限られてしまうのです。

Img_0998_w はたして、夜が明ける時間になり進行方向を感じ取るとコンパートメントを右に走っております。ナンシーを出てから進行方向を変えてないか、偶数回変えたかどちらかです。いづれにしても通路から海は見えないのでデッキに向かいます。予想にたがわぬ美しい地中海の車窓はみることができたものの、やはりこういう車窓は自分の席で珈琲でも飲みながらのんびり見たかったなあ。

Img_0948_w ちなみに、ルネアには他の寝台列車にはある朝食サービスはありません。もちろん一等のクシェットにもです。その意味で一等と二等の違いはあまり無く一等にはシーツを二枚重ねたような寝袋がつくことくらいでしょうか。おそらくビジネスユースがかなり多く、乗客が乗り降りする駅が分散していて、効率を優先しなければならない列車なのだと思います。

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2008年3月11日 (火)

青列車(トランブルー)の後継者達-1

Img_1382_w トランブルーの本家筋の後継者のルネア。ヴェンチミグリア駅で。青っぽい塗装でした。

昔、フランスにはトランブルー(TrainBleu)という豪華寝台列車がありました。日本のブルートレインのモデルになった列車で、パリと南仏を結んでおりました。この豪華寝台列車はもうなく、当初の始発駅であったリヨン駅の高級レストランに名を残すだけですが、後継列車は何系統かコラーユ・ルネア(Corail Lunéa)として運行しております。

このうちパリのオーステルリッツ駅(Austerlitz)とイタリアのヴェンチミグリア(Ventimiglia)を結ぶ列車がコラーユ・ルネアと一律に呼ばれる前までル・トランブルーと名前が付けられていたので、本家筋の後継者であろうと思いますがニース(Nice-ville)を終着駅にして各所から発車する分家筋があります。いずれも現在は豪華列車にはほど遠く、食堂車はもとより個室寝台車さえついていない2等座席と一等二等クシェットだけの編成になっております。

クシェットというのは日本で言えば指定券で乗れる「ごろんとシート」であり、横になれる座席扱いの車両です。フランス国鉄の場合一等も二等も4名1コンパートメントで、違いは少ないような気がします。一等にはシーツを二枚重ねたような寝袋とちょっとしたアメニティが備えてありますが、一等を選ぶ決定的な要因にはなっていないと思います。

とにかく、これらの夜行列車はTGVの高速鉄道が発達した今でも、南仏への移動に関して時間の有効利用の点でメリットがある為、利用する人も多いように見受けられました。

私はトランブルーの名前に憧れがあったことと、地中海に降り注ぐ朝日で目覚めるイメージに取り付かれてこの列車には乗らねばならぬと心に決めておりました。

Img_0855_w ただ、この列車に乗るにはちょっと大変です。同じ区間を毎日走る訳ではないので、その日に走る列車を迎えに行く必要がありました。私の場合2月29日にフランクフルト空港に到着し、そこからICEでオッフェンブルグ(Offenburg)へ。連絡するOSBという気動車に30分くらい乗ってストラスブルグ(Strasbourg)に向かいます。ストラスブルグはTGV東線の終着駅で通常はここからニース行きがあるのですが、当日は運行休止日。そこで急行に乗ってナンシー(Nancy-Ville)まで行き、ルクセンブルク(Luxembourg)からやってきた夜行列車に乗り込む必要がありました。

Img_0864_w この間、面白い事はドイツからフランスへの変化でストラスブルグに近づくと車窓が一変します。極端な話、素っ気のない工業地帯からお洒落な町に変ります。

Img_0882_w ナンシーでの待ち合わせも、街が綺麗なので苦になりません。残念なことは日のある時にここに居れなかったことくらいです。この街はアールヌーボ発祥の地だそうで、美しい建築物も沢山あるはずなのです。

Img_0888_w 列車は長距離旅客の牽引機である1を最初につけたBB26000系の電気機関車に引かれて入線してきました。ここで反対側に別の機関車をつけて、向きを変えて発車します。

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2008年3月10日 (月)

旅行中は電気の奴隷でした

Img_2569_w 充電地獄に仏のオーストリア国鉄

本日、欧州鉄ちゃん旅行から帰ってまいりました。この旅行は当初「卒業旅行」になるかもと思って計画したのですが、結局そうはならず、明日からの生活が恐くて仕方がありません。でも、良い気分転換になりました。

今回の旅行でつくづく感じたことは、自分が電気の奴隷になっていることでした。毎日鉄道で移動する旅では、電波を追い続ける携帯電話のバッテリーが瞬く間に消耗して行きます。またデジタルカメラのバッテリーもCanon 5DのRAWで撮り続けているとバッテリーとメモリーはどんどん無くなって行きます。

メモリーに関しては、今回、コンパクトフラッシュを4枚、合計16GB持って行きました。ある程度コンパクトフラッシュが一杯になるとノートパソコンを経由して60GBの携帯ハードディスクに移します。またバッテリーパックは2つ持って行ったのですがこれが大失敗。せめてあと一つあればもっと余裕があったハズなのですが。

というのは、夜行列車での移動を随所に入れていたので、その日は、コンパクトフラッシュのコピーはともかく、バッテリーの充電に悩まされることになったのでした。個室寝台車の場合は個室内に髭剃り器用の電源があるので問題無いとして、クシェットの場合はたとえ、コンパートメント内に電源があっても、他の乗客の手前、充電は実質的に無理です。

また、ホテルに宿泊する場合も、夜中にチェックインして、部屋に入るやいなや、ノートPCを起動させコンパクトフラッシュをコピーし、一方で携帯電話、デジタルカメラのバッテリーを開始する。充電には時間がかかるので、この作業の片手間にシャワーを浴び、ビールを飲み、パンを食べるという生活に追われます。

それでも、ニースのホテルでは、バスルームで充電していたバッテリーを忘れて、それを取りにホテルに戻った為、当日のスケジュールが全て狂うというミスまで犯してしまいました。

こうなると、旅行のスケジュール自体が、何時、何処でバッテリーを充電するかで大きく左右されることになります。電気の奴隷です。

最近の鉄道車両のファーストクラスでは席にPC用の電源を持つものも増えてきたので、たまたま乗った車両に電源のコンセントがあるのを見つけると、それだけの理由で嬉しくなったものでした。

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2008年2月28日 (木)

欧州乗り鉄の旅に出かけます

Img_0830_w 明日からちょっとの間、旅行に出ます。欧州の鉄道貨車を見れれば良いなぁ等と考えて旅程を考えました。日本でなら貨物列車の時刻表も出ているので、貨車や機関車を特定して計画を立てることが出来るのですが、海外では難しいので、あまり気にしないで鉄道に乗ることを楽しむことにします。

もともと、今頃の時期に、3月で無くなる「銀河」や「あかつき」にでも乗って、関門トンネル用のステンレスボディのEF81でも見に行こうかと思っていたのですが、突然、欧州の貨車の記憶が自分には無いことに気がつき、見に行かなくてはならないと決心した次第です。

行程はフランクフルト空港駅を起点にしてストラスブルグ、ニース、ジェノア、ベネチア、ミラノ、トリアノ、サンモリッツ、アンデルマット、アイロロ、ロカルノ、ブリーグ、チューリッヒ、ザルツブルグ、グランツ、ウイーン、プラハ、そしてウイーンに戻って空路帰国します。

この間、夜行列車で3泊。本当はもっと夜行列車の泊数を増やしたかったのですが、高くつきすぎるので3泊にとどめて後は駅前ホテルにしております。

この旅程を組むにあたって驚いたのが、全て机の前のPCでネット予約、注文が出来ることです。それだけでなく、グーグルマップで駅前、宿泊先、を検索して、日程のシュミレーションが出来てしまうのであります。実は旅立ちに先立ち、もう行ってしまった気分で、なんか物理的に行くのは面倒くさいなあ、と感じてしまっている次第です。

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2008年2月22日 (金)

トーマス クックの時刻表

Img_0826_w 時刻表は私が子供の頃からの愛読書でありますが、この時刻表の原型はイギリスで最初に作られたそうです。時刻表の無い時代は列車の時刻は、ビラのような一枚紙で案内されていたようです。

今でも、田舎の温泉宿に行くとxx駅列車時刻表みたいな紙が壁に貼られていますし、私の実家でも列車ダイヤが変るたびに新聞に折り込まれてくる駅の時刻表を大切に保管して、テレビ台の下においてあります。

列車の時刻を知る目的では本来このチラシで充分なのかも知れません。しかし、列車時刻表は列車の時刻を知るだけでなく読み物として優れたものであると確信しております。この時刻表で少年の空想はふくらみ、推理小説のトリックのネタにもなっております。

その数ある時刻表の中で、最も優れたものはトーマスクックの時刻表であるのは間違い無いでしょう。トーマスクックの時刻表もイギリスのものですが、先ほど述べた最初の時刻表ではありません、トーマスクックの時刻表は編集の上手さと、見易さを追求した結果、最初の時刻表であるブラッドショーの時刻表に勝ち残ったものなのです。

最近、欧州各国の鉄道はオンラインによる検索サービスを充実させ、トーマスクックの時刻表など比較にならないほど充実した検索結果を表示してくれます。

しかし、トーマスクックの時刻表はこのオンライン検索サービスがいくら充実しても残るでしょう。もともとこの時刻表の良さは、必要な情報を落とさずぎりぎりまで切り詰めたシンプルさ、見易さ、全体像のつかみ易さにあるのですから。

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2007年12月 8日 (土)

餘部鉄橋を見た後で

Ine_w Camera : Hasselblad SWC, Lens : Biogon 38mm F4.5, Film : EPP

先日の餘部鉄橋の続きを見ていたら、ちょっと変わった海辺の家が写っておりました。思うにこれは伊根の舟屋の一部です。どうして餘部鉄橋から伊根なのでしょう。記憶をたどって見ました。
あの朝、出雲を逃したことで、若干へこみながら朝ごはんを頂きました。どんな料理だったか忘れましたが素朴で美味しかった記憶があります。そのあと、とりあえず餘部の駅に行き、来た列車に乗り豊岡まで行ったはずです。おそらく北近畿タンゴ鉄道を見ようと思っていたと思われます。そこで列車を見ながらレンタカーを借り、海沿いに走ったのだと思います。表題の写真は伊根に着いた時の状況、今にも降りだしそうです。というかこの後は雨でした。

実は、デジタルカメラのファイルを見れば、行動は分単位で解ります。また、そのうちデジカメにGPS機能がつけば、何時に何処で撮った写真かまで解るようになり、行動経路まで記録出来るでしょう。しかし、スリーブのネガやポジを見て、過ぎた日の行動を回想するほうが楽しいです。

記憶が蘇って来ました。あの日は、豊岡でレンタカーを借り、伊根、天橋立、久美浜を回ってレンタカーを返し豊岡で泊まろうと考えました。しかし、駅に戻ってみるとと大阪行きの「はまかぜ」に間に合うことが解り、とにかく「はまかぜ」に乗ることにしました。外見の塗装は変わっていても中身は一緒、子供の頃よく乗った181系の「つばさ」そのものです。もちろん「つばさ」といっても現在の山形新幹線ではなく、東京・上野から秋田を結んで走っていた特急列車です。私が子供の頃、この特急列車はまだディーゼル特急で、東北本線を485系の「やまびこ」や「ひばり」583系の「はつかり」等の電車特急と、結構いい勝負で疾走しておりました。
車内を見回しただけでも懐かしいのに、播但線から東海道本線に入り、エンジンを唸らせながら回復運転の高速走行に入ると、それは板谷峠を越えて東北本線を疾走する往年の「つばさ」にそっくりで、思わず涙が零れて来そうです。「はまかぜ」の車内でターボ音が混じるエンジンの爆音を聞きながら感涙にひたる中年親父の光景など、あってはならない光景ですから、大阪駅まで我慢です。

大阪に着いてしまえば、宿は探せばはいくらでもあります。改めてデジカメのファイルを見てみると、おおむねアタリでした。

Img_0796_w 餘部の駅に登っております。時刻は7時27分。平日じゃないの?という突っ込みは止めましょう。
Img_0829_w 豊岡の駅をうろうろしてます。時計は8時50分
Img_0898_w 伊根の舟屋を俯瞰しております。時刻は12時50分
Img_0984_w 久美浜で夕暮れの海を眺めていたようです。時刻は16時42分
Img_1001_w この「はまかぜ」に乗って大阪に着きました。時刻は20時14分。この時間なら宿探しも楽勝。

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2007年12月 5日 (水)

餘部鉄橋へ蟹を食べに行った日

Amarube_2_w Camera : Hasselblad SWC, Lens : Biogon C non T, Film : E100VS

数年前、おそらく2004年の12月。さすがに寝台特急「出雲」も181系の「はまかぜ」も、餘部鉄橋そのものも、もう危ない。健在なうちに見に行かなくては、蟹を食べに行かなくては。と思い立ち餘部鉄橋まで旅をしたことがありました。

近所の宿を予約しようとしたのですが、蟹のシーズンで、かつ、怪しい中年オヤジの一人旅なので、警戒され、なかなか上手く取れなく、結局鉄橋の真下の民宿がOKしてくれました。

確かに、最後の思い出に蟹をたらふく食って首をくくられたら、旅館も大変でしょうから、中年オヤジの一人旅は警戒されて大変なのです。団体のオヤジなら逆に温泉街では歓迎されるでしょうけど。

この餘部鉄橋もいよいよ最後の時が近づいてきました。架け替え工事が始まっております。私が訪れた時は、まず181系の「はまかぜ」から消えてゆくかも知れないと思っていましたが、これは最後まで残りそうです。

最初に消えたのは「出雲」でした。民宿の窓から二日酔いの頭で、真上の餘部鉄橋を通過する出雲をボーゼンと眺めて見送った光景を今でも思い出します。蟹の食いすぎ、日本酒の飲みすぎ、一人旅で屋根のあるところに泊まると、どうしても油断してしまうのですね。

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2007年11月 2日 (金)

江ノ電、300系のたそがれ

Img_0367_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF 24-105 F4L

先日、江ノ電の300系のうち、303と353のペアのお別れ会がありました。これで300系は305と355のペアを残すだけとなりました。随分前から実質的に走行する車両は305と355のペアだけになっていたものの、やはりいなくなると寂しい感じがします。

ちなみに「305と355のペア」と言っているのは、江ノ電の車両は連接車と言って、台車を二両で共有する構造で、それぞれの車両が生涯を共にする伴侶を持っているからです。つまり、305号車と355号車は生まれた時から逝ってしまうまで生涯を共にする運命なのです。

だから、実質的に江ノ電の300系は最後の一両になってしまったことになります。

もっとも、300系というのは色々な車両を改造して作り上げた形式で、6編成がそれぞれ違った個性をもっていたので、それぞれが「最後の一両」だったと言えば、それまでなのですが。

マニアックなことはさておき、確実に言い切れることは、子供の頃「俺たちの朝」で江ノ電のイメージを刷り込まれた世代が、その記憶を呼び起こすような車両が、最後の一両になってしまった事です。

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2007年10月27日 (土)

海が見えた

Img_0362_w Camera : Canon EOS 5D, Lens EF24-105 F4L 

海の側を走っている江ノ電でも、窓から海が見える区間は限られております。だから、実際に窓から海が見え始めると、車内の様子が変ります。

海、キタ━━━━(゚∀゚)━━━━ !!!!!という感じです。

車窓から海が見える、ただそれだけのことですが、どういう訳か海が見えそうになると、人の期待は高まります。海を見ることは人間にとって特別のことなのかも知れません。

これは、通勤通学で海が見える路線を毎日使っている人にとっても同じことで、ボックスシートのある通勤列車では、海側の席からうまって行きます。

私も、昔、海が見える路線の列車で通学したことがありました。もちろん海側の席に座って、毎日飽きもせず海を見て通学しておりました。

友達が少なかった、だけのことかもしれませんが。

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2007年10月25日 (木)

ゆりかもめに乗った日

R0010642_w Camera : Ricoh GX100, Lens : Ricoh Zoom 5.1-25.3mm F2.5-4.4

レンタルビデオでドリームガールズを見てから、どうしてもこの映画を映画館で見たいものだと思っていたところ、豊洲で今週上映していることを知り、見に行く事にしました。

ゆりかもめにも乗れるし。

R0010660_w 私、この沿線でお仕事をしているので、ゆりかもめは毎日見ているのですが、乗ったことがなかったのです。

R0010673_w 乗ってみたら、正直、面白いです。景色いいです。やみつきになりそうです。

実は、私、日中嫌な事があった時には、気分転換に京浜急行の快速特急にわざわざ乗って帰るオヤジだったのですが、これからはゆりかもめもオプションに入れよう。

京浜急行の快速特急に乗るって言っても、植草るのが目的では決してありません、当たり前ですけど..。

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2007年9月15日 (土)

小京都より人吉駅

Img_9666_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF 24-105 F4L

人吉は、小京都でもあり美味しいと評判のうなぎ屋さんもあることから行って見たいところでした。

うなぎは評判通り美味しく、それだけでも人吉に来た価値があるのですが、肝心の小京都の風情はというと、あまり感じられませんでした。温泉からお城、神社仏閣の観光スポットを点在させた地方都市の様相なのですね。

それで、何よりも感動したのは人吉の駅でした、なんてことを言うと可笑しいことでしょうか。ただ、私に言わせると、電化の施設が無く、したがって空が広く、地上の設備もおおらかに残っている希少な駅です。レッドデーターブックで言うと絶滅危惧種にあたります。

かつて鉄道交通の要所には、蒸気機関車を運用するために数々の施設を作り、それを操作、維持する為の職員が配置され、鉄道町のようなものがありました。それが動力の近代化、合理化、鉄道輸送の減少で淘汰され、人は移り施設は取り壊されていきました。もちろん大都市で鉄道輸送が活発なところには車両基地等の鉄道施設が残っておりますが、ほぼ全て電化され、架線の下です。

Img_9665_w (上の写真はこの踏切の途中から)

人吉駅は旧鹿児島本線の駅として、矢岳峠を越えるため充分な鉄道施設を併設する必要があったので町からちょっと外れた所に作られたのかも知れません。その為か、現在でも当時の面影のとおり広い空のしたにいろいろな鉄道施設が残ったままなのです。

何でも、2009年にはここに蒸気機関車が帰ってくるとか、その光景を想像するとわくわくしてきます。(この施設を駅の反対側からみるとこんな感じです。機関庫が良い感じで残っています。)

Img_9680_w 

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2007年9月 8日 (土)

豊肥線、立野駅

Img_9856_w Camera : canon EOS 5D, Lens : EF 24-105 F4L

単線の路線で、上りと下りの列車が同時に、同方向から駅に進入してくる。通常ではありえない光景が豊肥線の立野駅では見られます。

何故、こんなことがおこるかというと、この駅はスイッチバックの行き止まりに駅があるからで、おなじスイッチバックの肥薩線の大畑駅でも同じ事は、おこりますが最近の列車本数ではそんな必要は無くなりました。

この珍しい光景が見られる事だけでなく、立野駅のスイッチバックはスケールが大きく、是非見てみたいと30年ほど前から思っており、このほどやっと実現した次第であります。

この間、この路線を8620という蒸気機関車が復活しSLあそBOYという名前で運行し立野のスイッチバックを登る写真はあちこちで見て、是非この蒸気機関車が走っているうちに来たいものだと思っていたものの果たせませんでした。もっともあの列車が妙にウエスタン風に飾られたものでなければ、万難を排して何が何でも来ていたでしょうけど。

何でも、8620は設計図が見つかって壊れた台座を新調し、また数年後に復活するかも知れないとの事、その時は人吉方面が主な活躍の場になるかも知れませんが、立野に来ることもあるでしょう。その時は、たとえウエスタン風に改造されていたとしても是非スイッチバックを登る姿を見に来たいものです。

しかし、せっかくの鉄道遺産、出来れば原型で復活してくれないかなぁ。

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2007年8月30日 (木)

現代の石炭輸送列車

Img_9956_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF 100-400mm F4.5-5.6 L

前回、山元のセメント工場が難しい状況にあることを書いたついでに、今回は日本に残った唯一の本線輸送の石炭列車を紹介します。

正確に言うと、現在石炭輸送列車は二系統あって一つは太平洋石炭販売輸送株式会社の専用線で選別工場から港まで石炭輸送を行うもの、もう一つが鶴見線の扇町から熊谷のセメント工場まで輸入炭を運送する専用貨物です。

後者の石炭輸送は国鉄からJRにいたる貨物輸送の歴史のなかで最後に残った石炭貨物列車です。筑豊の石炭貨物列車が消え、北海道の石炭貨物列車が消え、最後に残った石炭貨物列車が首都圏を発着するものだったことは興味深い事です。

Img_9968_w この列車は貨物列車が好きな人にとっては有名な列車で、扇町から浜川崎までをホキ10000という特殊な貨車を夕方にDE10というディーゼル機関車が牽き、夜を明かして早朝にEF65という電気機関車が山手貨物線を通って熊谷貨物ターミナルまで牽引し、そこから秩父鉄道のデキという電気機関車に引き渡すという、夢のある列車なのです。

石炭貨物としては、昔、北海道で蒸気機関車が牽引するセキという貨車を使った長大な貨物列車から比べれば、妙に小奇麗で迫力には欠けますが、それでもこの列車を見るたびに郷愁がこみ上げてきます。

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2007年8月21日 (火)

折尾駅に再会を誓う

Img_9224_w camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L

折尾駅は前から行って見たいと思っておりました。あのあたりの線路がどうなっていたのか見てみたかったのです。

鉄道で九州に入ると、門司から博多までの間、鉄道が好きな人にとってはワクワクする光景です。線路が次から次と分かれてはまた合流します。線路が少なくなった今でさえそうですから、山ほどの線路が複雑に絡み合っていた頃は本当に楽しみでした。とはいえ、私は九州に行くチャンスはほとんど無く、たまに出張があると朝の飛行機で出かけるフリをして、前夜の新幹線と夜行で博多に入るということをしていたのです。ちょっとの追い銭でこの光景が楽しむことが出来、とても得した気分になったものでした。

その中でも折尾は面白そうな配線で、この駅の名前をながらく頭にきざんでおりました。

今回、そんな昔のことを思い出して駅に降りてみたのですが、実際駅に降りてみるとかなりのショックを受けました。駅舎が古く美しいものであるだけでなく、ホームの配置も興味深いものであります。職員の理髪施設も昔の国鉄の面影がぷんぷんします。どうしてもっと前に訪ねていないのか、己の至らなさに恥じいるばかりであります。

時間が無く、今回はほんの少し途中下車しただけでしたので、またの機会を伺うことになったのですが、調べてみると折尾の再開発が進行中で現在の場所に駅が無くなる!みたいです。

駅の場所をずらせば、現在の複雑な配線が解消され平面で各路線を交差させることが出来るとのこと。駅の利便性は利用者にとっては重要な事なので、私がどうのこうの言うことではありませんが、少し寂しい気がします。せめて近いうちに、もう一度、もっとゆっくり訪ねてみなくては。

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2007年8月12日 (日)

島原鉄道「南線」のキハ20系

Img_9800_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105mm F4L(島原鉄道「南線」の終着駅、加津佐)

今年の夏休みのメイン イベントは、万田坑の見学と来年の3月で廃止される島原鉄道の南線をキハ2006で往復乗車することでした。

キハ2006と言うのは、旧国鉄の一般用気動車キハ20系で、島原鉄道にはまだ8両残っているうち、キハ2003と同様、島原鉄道の旧塗装の「三本ヒゲ」の塗装がされている車体です。何でも島原鉄道が国鉄に乗り入れをしていた頃、国鉄の車両と区別する為に施した塗装とのことですが、長らく島原鉄道のシンボルでありました。

私は子供の頃、図鑑でこの車両を見て、遠い南国の鉄道に思いを馳せたものでした。今回、鉄路と車両が無くなる前に乗車する機会があったのですが、蒸し風呂列車の不安に反して車内は冷房が効き快適。なのに、走りは懐かしいキハ20系そのものです。この感じだと車両はまだまだ、現役で走り私のようなお客をよぶことができそうです。

Img_9778_w (諫早から加津佐行きの列車の車両を南島原で変えるという形で、キハ20系は運行されます。待機するキハ20の手前で諫早からの列車の停止位置を指示する駅員さん)

キハ20系は通常、南線では使われていませんが、土日限定で南線を走ります。島原鉄道では記念切符を販売しており、通常片道1310円の南島原~加津佐の間を1000円で往復できます。

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2007年6月 3日 (日)

腕木信号が見れる津軽鉄道

Img_8302_w Camera : Canon EOS 5D, Lens : EF24-105 F4L,

かつて、ローカル線の定番の光景といえば、腕木信号が駅の両側に立つ景色でした。

腕木信号とは柱に取り付けた腕のような木を上げ下げすることによって、列車の進入の可否を知らせる信号です。単線のローカル線では途中に列車が行き違いできる駅があり、腕木信号はそんな駅に付けられていたのでした。

腕木信号の腕木は駅からワイヤーで上げ下げさせるように出来ており、列車交換をする駅ではワイヤーを動かすレバーがあり、そこからワイヤーが伸び、滑車で支え、または方向を変え、信号の支柱まで伸びていました。

この腕木信号も日本で残っているのは東北の私鉄だけで、今年の3月にくりはら田園鉄道が廃止されてからは、乗客を扱う鉄道では津軽鉄道だけになってしまいました。

実は、貨物専用鉄道の小坂精錬鉄道には腕木信号の全盛期を思わせるようなフル装備の腕木信号が残っているのですが、残念ながら貨物専用鉄道なので車窓から見ることは出来ません。

車窓から見るには、津軽鉄道五所川原の駅の金木よりか、金木駅の五所川原よりの2箇所です。しゃしんの腕木信号は金木駅の手前、五所川原から向かうと左側に見えるものです。

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2007年4月19日 (木)

JR鶴見線、国道駅

Kokudo_w Camera : Pentax67, Lens: SMC Takmar 55mm F3.5, Film : TXP320

この怪しげなところは何処かと言うと現在のJR鶴見線国道駅です。この上を鶴見線が走り、このアーチの下の通路に改札口があります。改札口といっても、簡易自動改札機があるだけですが。

この場所もいつかは、モダンに改装されるかも知れません、しかし、この状態が長く続いております。大好きな所なので、いつかちゃんと写真を撮りたいと思いながら、ここに来る時はいつも古いレンズをつけたカメラを持ち、三脚は持っておりません。

たぶん、そんな古いカメラやレンズを使おうとするから、ここに来てしまうのですね。それとも、気軽に古いカメラをもって、古めかしい風景の中に居ることが、私にとって一つの心の安らぎになっているのかも知れません。

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2007年4月15日 (日)

好きな場所に好きな電車が来たら

Img_7353_w Camera : Canon 5d, Lens : EF24-105 F4L

好きな場所に好きな電車が来たら、後追いでも写真を撮らずには居られませんね。これはサガです。本当は山吹の花を見に鎌倉に来たのですが、300系の江ノ電を見ることが出来、本日は良く出来ました。です。。

好きな場所が多い江ノ電でも、ここは大好きな場所のうちの一つです。狭い道路と同じ高さを走る線路、その間には柵もありません。それどころか、線路の向こうには家の門があります。家の住民は玄関を出て門を通り、線路を渡って道に出ることになります。

危険と言ってしまえばそれまでですが、この辺りに住む人々は昔から江ノ電と共存してきたので、門の前に江ノ電の線路があり電車が通る。それが日常です。

写真の電車は、江ノ電のなかの江ノ電、300系と呼ばれる電車です。昔から江ノ電が使われるドラマ、CMには必ず登場してきた江ノ電の顔です。

しかし、この形式もあと2編成しか残っておりません。一日でも永く活躍してくれるよう、願うばかりです。

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