« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »

2012年12月29日 (土)

大槌の夢宇民さんによろしく

Dsc01685_w


camera: NEX5n, lens:sel1018

当日の揺れさえ知らない私のような者が、震災の事を語るには気が引けますが、東北の太平洋側を通ると、酷い被害の中でさらに酷いところがあることを、思い知らされます。

志津川、陸前高田、大槌、これらの地域は街そのものが無くなってしまった。そんな気さえします。

湾に川が流れ、海岸線になだらかな平地があり、そこに建物が集中していた。そして、その湾は開口部が広く、すり鉢状に陸地に接する。そんなところは津波の高さも高く、内陸の奥深くまで達した。

津波に対して、土地の条件が悪いと思われます。しかし、これらの土地は、リアス式の海岸が連なる三陸では住み安いところであるようにも思われます。部外者は、これからの行く末を静かに、応援しながら見守るしか無いのかもしれません。

広い廃墟のようになった大槌駅前の周辺で、僅かに営業しているのが、喫茶「夢宇民」と向かえのビジネスホテル。表題の写真では奥の虹の絵がある建物がビジネスホテル、手前が夢宇民のビルです。

この二つの建物は、津波と出火に耐えなんとか営業しているとの事。ビジネスホテルにはボランティアの人々が泊まっているとか。

重機で瓦礫を片付ける作業にボランティア?と聞いたら、仮設住宅を回って慰問をしているとの事。作業をするだけがボランティアではありません。夢宇民のマスターは、みんなが忘れないでいて、来てくれることが、今は嬉しいかな、とおっしゃっておりました。

これから先、この街の復興計画がたち、どう変わるか知りませんが、いろいろな形で応援しましょう。

Dsc01694_w

ところで、ビジネスホテルの三階の窓の下、左から二番目と三番目の窓の間に赤い文字が書かれております。文字は2011.3.11。津波の到達点を記録しているそうです。

| | コメント (0)

2012年12月26日 (水)

島が分断された気仙沼大島

Dsc01590_w


camera : nex5n, Lens: Sel1018

寒風沢島のヴォランティアの折、気仙沼大島の様子を話してくれた方がおりました。気仙沼大島は海が綺麗な島で、若い頃から何度も行ったことがあり、訪ねる機会をうかがっておりました。

島に泊まるのは迷惑かな、と思うところもありましたが、冬の平日なら一人で予約しても大丈夫と思われ、国民休暇村を予約しました。

国民休暇村は高台にあるので、津波の被害から逃れることが出来たようです。それでも海に下りて行く途中、すぐそばまで津波が到達していたことを示すしるしがありました。もちろん海岸の東屋など残っておりません。

その位地まで津波が到達していたなら、田中浜から押し寄せただろう津波は島を横断して浦の浜に向かったことは容易に想像できます。そして引き波は逆の方向から襲ったことでしょう。こうしてフェリーから見る景色も全く変わってしまいましたね。ここは島の玄関であり、中心であっただけに痛まれます。

この辺りはこれからどうなるのか、本土との間の橋も進展するようなので、島の玄関や中心が変わるのか。私のような部外者は、そうすべきだと思ってしまいますが、島の人たちにはこれまで築いてきた生活や仕事があるでしょうから、この場所が中心で無くなるのは難しい事なのかも知れません。

| | コメント (0)

2012年12月25日 (火)

気仙沼線のBRT

Dsc01569_w


Camera:Nex5n, Lens:Sel1018

私は地図から廃線になった線路跡をさがしたり、鉄道遺跡を探したりするのが好きです。鉄道は一般道とは違い、カーブの大きさ、勾配のきつさに制約が厳しいので、ちょっと見にはただの狭い道でも、そこが元は線路だったことが解るのです。

現役の路線でも、線形の改良のため、いたるところに線路遺構は残っております。

しかし、自然に廃止された路線と違い、津波で破壊された路線は、時に、そこが線路であったことを全く想像させません。廃線とは違い、現在の地図にはっきりと線路が記載されているにもかかわらず、です。

表題の写真は気仙沼線の小金沢駅付近です。そして、ここが特に酷いわけでもありません。どこも似たようなものです。通常の線路跡は解りにくく、鉄橋かトンネルの遺構があるほうが線路跡の確認がし安いのです。それにこの写真にはBRTも写っている。

BRTとはBus Rapid Transitの略で、混雑する街中は専用道路で抜けるバス輸送です。写真の赤いバスが気仙沼線のBRTです。

気仙沼線の沿線では鉄道の再敷設を望んでいるようですが、感情的なものを除けば、BRTのほうがここには合っているように思います。

住民が利用しやすい位置に乗降所が作れる、本数が増やせる、バスダイヤは列車ダイヤに比べて融通が利く、災害時復旧がし安い。

道路が貧弱ならともかく、高規格道路があるので、明らかにBRTは有利だと思います。感情的な事は別にして。

| | コメント (0)

2012年12月24日 (月)

宮戸島から見る寒風沢島

Dsc02273_w


camera: Nex-7, Lens: SEL18200

今年、ヴォランティアの縁で寒風沢島を何回か訪ね、その端っこから鰐ケ淵水道を隔てて、本土と橋で繋がっている宮戸島を眺めたことがありました。

その時、この距離なら橋を架ければ良いのに、とも思ったものです。

そんな事から、今回は反対に宮戸島から寒風沢島をみてやろうと思いました。

宮戸島から寒風沢島まで近い先端は北鰐淵というところですが、今回は道に迷っていけなかった。というかたどれそうな道をナビの地図でたどったらこんなところについてしまった。

一応中央に護岸工事中の寒風沢島が見えます。

でも写真を撮ったのはこんな所。なんとなくカンが働いて車は手前で止めて歩いて様子を見てました。ホント車で乗り入れなくて良かった。震災以来、地図はあまり頼りになりません。もっと崩れ落ちたところに近づけばそれなりの写真が撮れたかもしれませんが、強風のなか道に立つにも足がすくんでダメでした。

Dsc02274_w

| | コメント (0)

2012年12月17日 (月)

伏見稲荷大社の鳥居

Dsc02146_w


camera : NEX-7, lens : sel1018

私の実家は商売をしていたので、正月の初詣にはよく伏見稲荷に詣でておりました。大晦日の夜行か元旦の夜行に乗って京都に着き、デーゼルカーの奈良線に乗り換えて伏見駅に降り初詣をして、慌しくまた夜行に乗って帰る、そんな初詣でした。

まだ参宮線や関西本線に蒸気機関車が走っていた頃は、親を騙して亀山駅のそばに宿を取って宿泊したこともありました。

夜行バスは京都駅に早朝に着くので久々に、伏見稲荷大社に参拝し、お山に登って着ました。

あーこれこれ、朱色の鳥居のトンネル。懐かしいなぁ。と想っていると、ふと、ある事に気がつきました。

この鳥居は子供の頃見たものでは無い。ほとんど平成の御世になってからのもの。この鳥居の寿命ってそんなに短いのか。と詳しく見ていると、朱色の木の鳥居はほとんどが平成。昭和のものは60年台がほんの僅か残るのみ。

対して、石造りの鳥居は明治、大正期のものが大半。近年のものは無し。奉納の仕方が変わったのかもしれません。

ちょっとショックでしたが、一本だけ昭和39年の木造鳥居を発見しました。色も褪せたその鳥居を見つけた時は嬉しかったなぁ。やっと思い出が蘇ったようで。

| | コメント (2)

2012年12月14日 (金)

平成24年12月新橋演舞場、昼夜

P1020269_w


新橋演舞場の12月大歌舞伎を昼夜で見てまいりました。

昼の部が御摂勧進帳の通し、夜の部は籠釣瓶花街酔醒の通しと奴道成寺。私の好きな通し狂言が昼夜ともプログラムされていたので一日通しで見てきました。やはり、歌舞伎は一日通しで、お尻の痛さと眠気に耐えて見てナンボのものと思われます。

ところが今回は、全然楽勝でありました。座っている時間が短かった。時給は高かった。

御摂勧進帳は一幕目は暫、二幕目が色手綱恋の関札という道行、三幕目が単独での上演もある芋洗い勧進帳。

私はこれまで、芋洗い勧進帳を見たことがあったので、一度通し狂言で物語の筋を見てみたいと思っていたのですが、期待外れ。まあ、顔見世狂言にスジを求めるなんてヤボなのかも知れません。それにしてもスカスカだったような.....。気のせいかな。

夜の部は、籠釣瓶花街酔醒は見染めの場から立花屋二階の場まで、いつもの通し。それでも私は平成11年12月以来久々の観劇です。そして奴道成寺、これも奴道成寺としては平成11年7月以来。

三津五郎丈の踊りは何時見ても確かですね。そしてそれ以外の感想は.....ありません。強いて言えば、昼も夜も省エネしすぎ。夜の部は7時23分に終演、それから飲みに行けってか。

ちなみに、以前私が見た時の平成11年12月の歌舞伎座の夜の部はこうでした。役者は当時の名前。夜の部の開演が4時半なのは、昼の部の終演が4時ちょっと前だったから。ちなみに今回昼の部の終演は2時41分。

一.大杯觴酒戦強者
内藤家 足軽部屋の場
同  書院酒宴の場
4:30~5:50
 
原才助実は馬場信久 團十郎
井伊直孝 猿之助


二.酔奴
6:25~6:53
奴可内 猿之助


三.籠釣瓶花街酔醒
   
序幕 吉原仲之町見染の場より
大詰 立花屋二階の場まで
7:13~9:17 
   
佐野次郎左衛門 勘九郎
八ッ橋 玉三郎
繁山栄之丞 梅玉
治六 東蔵
初菊 亀治郎
七越 笑三郎
釣鐘権八 弥十郎
九重 松江

この時の12月公演は、團十郎、猿之助、玉三郎、勘九郎の競演。幕見席にも制限がかかるほど満員札止め。

実は、この時の公演でこの狂言に関しては満足しきってしまったので、それ以来足が遠のいていたのです。それでも今回見に行ったのは勘三郎丈の追悼の想いから。

幸か不幸か、今回の公演で私の記憶が上書きされることはありませんでした。

| | コメント (0)

2012年12月13日 (木)

顔見世に想う

Dsc02206_w


camera: Nex-7, lens : SEL1018

実は、今頃、地味に夏休みをとっているので、毎日いろいろな所に出没しております。昨日は、南座の昼の部で三等がとれたので、顔見世に行ってきました。

思えば、南座に初めて行ったのは、先日亡くなった勘三郎丈が弁天小僧をやるということで、大阪出張の帰りに無理やり時間を作って見に行った時でした。

当時、南座の位置関係がわからなくて、そこから新幹線に乗るには何時に出たら良いのか解らないまま、時間を気にしながら失礼な観劇だったと記憶しております。

弁天小僧といえば菊五郎丈の当たり役、でもどういう訳か当時の勘九郎丈の弁天小僧が見たくて無理をしました。

そして、勘三郎丈の芝居で、私が一番印象に残っているのはその時の弁天小僧かも知れません。もちろん丈の良い芝居はいくつもあり、本当の当たり役も何度か見ているハズなのに、妙に南座で見たあの弁天小僧を覚えているのです。

その南座では、当代の勘九郎丈の襲名興行が顔見世でかかっております。南座の顔見世なんて自分には縁遠いものと思っておりましたが、とりあえず切符を探して見たのは、何かの縁を繋ごうと思った為かも知れません。上手い役者さんなので、これから勘九郎の名前を、観客に繋いで行ってくれるでしょう。

それにしても、本当に惜しい役者を亡くしてしまった。本当に帰ってこないのか勘三郎、つくづく残念です。

| | コメント (0)

2012年12月 9日 (日)

シャトー・モン・ペラの大人買い

P1020230_w


以前、山葡萄ワイン、山葡萄の交配種で作ったワインに自分の微小なアルコール耐性を捧げて行く、みたいな事を書いたことがあります。

確かに、山葡萄またはその交配種のワインには稲藁のような香りがあり、日本の里山の風情を感じさせてくれるものの、ワインには乾いた空気と太陽を求めたいと思うのも人情。

そんな時に出会ったのが試飲会で飲んだカリフォルニアワインのオーパス ワン。これは、美味しいと感じられました。しかし、高い。バカみたいに高い。もし買ったとしても、神棚に飾って正月に開封し、うやうやしくいただく、そんな事になりそうです。ワインの愛好家が、何年の何みたいなヴィンテージワインでやるならともかく、普通の人が通常のワインでそれは寂しい。

そこで、オーパス ワンの味に近い安物ワインを探してみたところ、あっさり見つかりました。シャトー・モン・ペラ。漫画「神の雫」でオーパス ワンに勝るとも劣らないと紹介されていたようで、ワインが好きな人には常識のようです。このワインは安いところで一本1800円くらい、オーパス ワンの十分の一くらい。つまり、シャトー・モン・ペラならオーパス ワンの10倍飲める事になります。

このワインには、レザマン・デュ・シャトー・モン・ペラという、上級ワインもあり、こちらもあまり高いワインではないのであわせて一本ずつ飲み比べてみました。

個人的な感想では、シャトー・モン・ペラのほうがオーパス ワンと近い方向のワインです。そしてオーパス ワンを崇める人でも、このワインは美味しいと思うでしょう。

ということで、シャトー・モン・ペラを1ダースほど注文しました。アルコール耐性が無い人にとっては、これでも充分な大人買いです。

| | コメント (0)

« 2012年11月 | トップページ | 2013年1月 »