大槌の夢宇民さんによろしく
当日の揺れさえ知らない私のような者が、震災の事を語るには気が引けますが、東北の太平洋側を通ると、酷い被害の中でさらに酷いところがあることを、思い知らされます。
志津川、陸前高田、大槌、これらの地域は街そのものが無くなってしまった。そんな気さえします。
湾に川が流れ、海岸線になだらかな平地があり、そこに建物が集中していた。そして、その湾は開口部が広く、すり鉢状に陸地に接する。そんなところは津波の高さも高く、内陸の奥深くまで達した。
津波に対して、土地の条件が悪いと思われます。しかし、これらの土地は、リアス式の海岸が連なる三陸では住み安いところであるようにも思われます。部外者は、これからの行く末を静かに、応援しながら見守るしか無いのかもしれません。
広い廃墟のようになった大槌駅前の周辺で、僅かに営業しているのが、喫茶「夢宇民」と向かえのビジネスホテル。表題の写真では奥の虹の絵がある建物がビジネスホテル、手前が夢宇民のビルです。
この二つの建物は、津波と出火に耐えなんとか営業しているとの事。ビジネスホテルにはボランティアの人々が泊まっているとか。
重機で瓦礫を片付ける作業にボランティア?と聞いたら、仮設住宅を回って慰問をしているとの事。作業をするだけがボランティアではありません。夢宇民のマスターは、みんなが忘れないでいて、来てくれることが、今は嬉しいかな、とおっしゃっておりました。
これから先、この街の復興計画がたち、どう変わるか知りませんが、いろいろな形で応援しましょう。
ところで、ビジネスホテルの三階の窓の下、左から二番目と三番目の窓の間に赤い文字が書かれております。文字は2011.3.11。津波の到達点を記録しているそうです。
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