秋田機関区の思い出ー扇形機関庫
Camera : Olympus Pen EE-2, lens : Zuiko 28mm f3.5, Light pan ss
秋田駅は、もともと久保田城の東南にあった沼を埋め立てて作られたせいか、駅の入り口は西側だけにあり、東側は機関区などの鉄道の裏方施設が置かれておりました。そしてそのさらに東側は一面の田んぼ。農家の家屋さえ無かったのは、このあたりが湿地帯であったからでしょう。
国土地理院の空中写真で1948年に米軍がこの辺りを撮ったものを見ることができますが、見事なまでに田んぼしかありません。そしてその田んぼの中にはデルタ線を確認することができます。
秋田駅には、機関車の転車台のほかにデルタ線まであったのです。デルタ線とは列車が編成ごと方向転換できるような、「人」の形をした線路のことです。それだけ東側には何も無かったということなのでしょう。
そのデルタ線の先端は現在の秋田銀行明田支店のあたりまで来るでしょうか。そしてそのデルタ線の底辺のちょっと上のあたりに転車台があり、その底辺あたりに扇形機関庫がありました。
現在の建物で言うとアルヴェの南端から駐車場にかけて、扇形機関庫と転車台があったと思われます。そして駐車場から南側の空き地?にかけて、給炭、給油、給水施設があったように記憶しております。
そしてNHKとそこから南側にかけて、昔は各種の職員用施設がありました。機関区の中の石炭の煙の匂い、油の匂い、そして職員用施設の浴場から流れる石鹸の匂い(蒸気機関車の乗務員には必須の施設です)が入り混じった匂いが機関区の匂いでした。
ところで、私が機関区に行くのは何時も午後。完全逆光になるので、扇形機関庫の全体が写った写真がありません。何線あったのでしょうね。あと、羽越本線が電化されてD51とC11が居なくなった後、ボイラー用?か何かで、9600が一台、ポツンと居た記憶があります。どなたか記憶を補完していただければ幸いです。
転車台をはさんで、西側が扇形機関庫、東側が青空駐機線、南北が通過線でした。ところで、一番手前のジョイントがデルタ線の名残ではないかと思っております。
転車台に乗るのは機関車だけではありません。めずらしいキハ80の中間車の転車風景。先頭車が機関車の役割で、中間車を転車台に乗せます。
| 固定リンク
コメント
どれも貴重な画像ですね。特にキハ80の転車風景など
そうそう見ることが出来ません。
この頃、先頭車もピカピカだったんですね。
ペンの画像、この頃はみんなペンでしたね。
オリンパス!昔はまじめだったのに・・・・。
投稿: SCR | 2011年11月21日 (月) 08時22分
SCR さま今晩は
上野方面の二両目にあたるから、キロ80かなぁ。
それとも、キハかなぁ。
でもオリンパスペンに現在のフィルムがあれば、もっと解像しているでしょうね。
本当に国民的なカメラでした。
投稿: kk | 2011年11月21日 (月) 22時33分