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2011年10月30日 (日)

ちょっと改良

Imgp1129_w camera : Pentax 645D, Lens : Pin hole 73mm

昨日のピンホールレンズは、作例でもわかるように、ちょっと望遠気味で逆光にも弱かったので、Pentax645のボディキャップを利用して、ピンホールレンズを作り直しました。

Dsc04728_w

この場合の焦点距離は73mm程度。Petax645では標準レンズですが、Pentax645Dではちょっと長めの標準レンズになるかと思います。このカメラの構造的に、がんばればあと10mmくらいは焦点距離を詰めることが出来そうなのですが、それは今後の課題。

ピンホールカメラは、ピンホールとフィルムの距離により焦点距離が決まり、穴の大きさで明るさが決まります。だからと言ってどんなレンズでも出来る訳ではなく、ベストの組み合わせはあるものと思います。

Imgp1134_w 私は、ピンホールとフィルム面が短いほうが画像が鮮明であると信じているので、最初に短めに焦点距離を定め、焦点距離から逆算して適切と思われるピンホールの大きさを決めます。ですが実際は、何枚も作ってデキが良いものを選ぶという原始的な方法で、最終的なピンホールレンズが出来上がるのです。また、ここで問題になるのはピンホールを開ける素材の薄さ。焦点距離を短くするほど、素材の厚さで回折が起こり安くなる為、素材は薄いほうが良いのです。

今後焦点距離を短くする時にはもっと薄い素材を使えば良いですが、現在は73mm程度なので、既存のものを使用します。

結局ピンホール自体はかわりばえしませんが、それでも昨日のものより画像が少し改善した、と思うのですがどうでしょう。

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2011年10月29日 (土)

4000万画素でピンホール

Imgp1109_w_2 camera : Pentax 645D, pin hole lens

以前4x5カメラで使うように、ピンホールレンズを作ったことがあります。リンホフボードの4x5カメラに装着して、あおりに対応した広角レンズのように使って遊んでおりました。

このピンホールのレンズを、ローパスフィルターもない4000万画素のPentax645Dで使ったらどうなるのでしょう。

Imgp1112_w ピンホールレンズはもやっとした絵画的な写真がその魅力になっておりますが、フィルムのサイズが大きくなってくると、解像感も高まってきます。

Pentax645Dは解像感ならおそらく4x5のフィルムを超えているでしょうから、ピンホールレンズではどんな解像感のある写真になるのか興味がわきます。

Imgp1120_w この前作ったピンホールはリンホフボードに貼りつけたので、これもまた自作したPentax67とリンホフボードアダプターに着け、Pentax67から645にコンバートするアダプターを介してPentax645に装着します。

この時ピンホールからCCDまで110mm弱の距離になるので、Pentax645Dではやや、望遠気味の焦点距離のレンズになります。

ピンホールの直径は0.2mmですが、645Dのファインダーは、日中であれば、ピンホールを通ったわずかな光でも構図を確認できるので撮影も楽です。それにAEで撮影できるからシャッターを開ける時間の計算も不要です。ピンホールカメラとしてこんな楽なカメラはありません。

ところで、その結果ですが、それなりに面白い写真になります。どういう訳かRAWファイルでは真っ青で、現像処理でホワイトバランスの調整が必要になるし、レタッチが前提ですが、レタッチすると一見まともな写真に見えます。

ところが、ピクセルを拡大してみると、はっきり解る像が無い。ピンホールはパンフォーカスのようで、実は全くピントが合っている部分は無いのではないでしょうか。

ちょっと新鮮な感覚です。

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2011年10月23日 (日)

また一つ、身近な昭和が消えていく

Dsc04697_w_2 camera : Nex-5. lens : E16mm + wide converter

先日の台風15号の被害から、密かに気にしていた近所のアパートが解体処分になることが決まりました。

まあ、二回も屋根を近所に飛ばしていれば、無理からぬことではあるでしょうが、身近な「昭和」がまた一つ消えて行くようで寂しいものがあります。

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私は秋田で生まれ育ちましたが、今住む鶴見の町には幼少の頃から来ており、この町の、現在は道路の下を流れているだろうドブとか、埋められるか削り取られた防空壕の残骸の記憶があります。

私がこの町に住むようになった時でも、近所には小さな商店街があり、銭湯まであった。

その銭湯が無くなり、マンションに化けた時、このアパートの住人はお風呂をどうするのだろう、と思いましたが、裏庭に小屋が建ちそこから石鹸の匂いが漂ってくると、共同風呂を作ったのだなぁ、なんて思っていました。

私の家の周りで、次から次えと景観が変わって行くなかで、当時から往年の様子を残していた数少ない建物で、ひょっとしたら最後まで残る建物と思っていただけに、今回の件はショックです。

恨むべきは台風15号、私はお前を忘れない、ということで、現在の私の携帯の待ちうけ画面は台風15号なのです。

20110920230000_w

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2011年10月16日 (日)

2011コリアマダン

Dsc04659_w Camera : NEX 5, Lens : E16mm  + wide converter

週末は強風が吹いたので、近くの公園の桂の木を見に行きました。強風で桂の葉が落ちて、あたりは桂の木の香りに満ちている...ハズでした。

ところが、桂の木の葉はまだ青々していて黄葉になって香りを出すにはまだ早いようです。

代わりに鼻についたのは、焼肉のにおい。今日はこの公園でコリアマダンが開かれていたのです。

この公園でコリアマダンが開かれるのは、ここにコリア庭園があるからなのでしょう。

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せっかくなので露店でキムチを買って帰ることにしますが、その露店もケバブとかルーマニアワインとかエジプト料理とか、半分以上は韓国とは関係なさそうなものです。

また。広場ではショーがあるのですが、訪ねた時間帯にやっていたこのショーはサンバのリズムで、どうみても韓国とは関係なさそう。

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まあ、気持ち良く晴れた秋の休日、楽しければそれで充分です。

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2011年10月10日 (月)

開幕驚奇復讐譚に望む

20111010_w 今月は国立劇場で、「開幕驚奇復讐譚」が上演されております。これは、曲亭馬琴の「開巻驚奇侠客伝」を原作にした演目との事。

私は、菊之助丈が綺麗だったなぁと、楽しませてもらいました。

ただ、この題材は未完ながら面白く、もっとお芝居で見たい、そんな思いも強く残りました。

まず、この物語では主人公は二人。新田氏の末裔、新田小六と楠氏の末裔、姑摩姫です。そして裏スジの主役は木綿張荷二郎。

歌舞伎にはありがちですが、原作の主人公は話を繋げるための繋ぎ役みたいなもので、上演の限られた時間では人物を掘り下げられることはありません。その意味で、この芝居は姑摩姫と、木綿張荷二郎、そして魅力的な脇役として悪婆の長総のキャラが立つべきです。

ところが、今回のお芝居で残念だったことは、姑摩姫が良く見れなかった。

それは、姑摩姫が登場する吉野山中の場を芝居ではなく、幻想的なデフォルメで表現をした為だと思います。この場では両宙乗りがありますが、これは余計だった。宙乗りはある一定の効果はあると思いますが、そのデメリットも大きく、今回は客席が極端に少なくなり、また宙乗りに時間もかけすぎで、芝居がそこだけ間延びした感がありました。

それに、この宙乗りは姑摩姫が空中歩行の術を得とくしたことを表して行われましたが、せっかく得とくした空中歩行の術を、大詰めでも使って欲しかった。錦絵の姑摩姫にあるように、金閣寺の鏡湖池に浮いて義満を狙って欲しかった。屋根の上での殺陣も綺麗でしたが、せっかく残存する錦絵があるので、それを菊之助丈で現実に見せて欲しかったところです。

木綿張荷二郎は菊五郎丈ですから、手馴れたもので、木綿張荷二郎に関しては充分魅せてもらいました。

長総は、複雑な女で、最初は夫を諌める賢妻、夫が殺害されて逃げ出す時は夫への愛想尽かしがあったでしょうか。落ちて逃げる道行では若い従者の小夜二郎への思いもありますが一線は越えません。木綿張荷二郎と出会ってからは色欲が芽生え、小夜二郎と契りをかわそうとします。その、小夜二郎が惨殺されてからは、色欲がはっきり現われる。そして、木綿張荷二郎の妻になってからは、夫以上の悪党になる。

彼女は悪婆というより毒婦に近く、このキャラクターは魅力的です。原作では受身で変貌してゆくところを、今回のお芝居では主体性を持たせたということですが、これは素晴らしい解釈です。福助丈か玉三郎丈での長総も見てみたい。

今回は、復活狂言で美術的に随分凝っていたのだけれど、私が思うに肝心のところで効果がいまいちだった。それは小夜二郎がなぶり殺しにされる所。ここをもっと凄惨に照明効果を利かせて見せて欲しかった。

以上は私の勝手な感想ですが、このままではこの芝居は再演はありません。何より座席が少なくなりすぎますから。題材は面白いので、このあたりを整理して再演されることを願います。

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(仮花道?というか宙乗りの発射台)

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(覆われている部分は使用できない座席)

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2011年10月 9日 (日)

襲名興行のような當世流小栗判官

Dscf2952_w このところの私的なビックニュースは、市川亀治朗丈の4代目市川猿之助襲名です。

当代の猿之助丈が病に倒れ舞台に立てなくなってから、せっかく復活させた通し狂言も華を失って久しい。私は、お芝居は通しで見るもの、と決めているので、自然に歌舞伎公演から足が遠ざかっておりました。

また、市川猿之助が舞台に立ち、次から次えと通し狂言を上演するのでしょうか、ちょっとわくわくして来ます。

歌舞伎が昔の通し狂言から現代の見取りが主流になった事には理由があります。通し狂言には面白い場面とそうでない部分があり、高い観劇料を払う観客は面白い場面ばかり集めたダイジェストを要求するようようになったからです。

長い通し狂言を、観客を飽きさせることなく上演することは、情報社会で目が肥えた現代の観客を相手にすると、とても難しいことだと思われます。

今回、襲名に先立って上演されているのは、近松門左衛門作、當世流小栗判官。襲名の発表があったことが関係しているかどうか解りませんが、猿之助がいる、そんな感じさえしました。

この芝居は本当によく出来ている。見せ場も1幕目は、乗馬の曲乗り、2幕目は、大道具を使った鮮やかな立ち回り、3幕目は天馬を使った宙乗り。と上手く配置されております。

季節も、1幕目は、桜が満開の鶴が丘八幡宮、2幕目は、夏の近江の琵琶湖、3幕目が紅葉が見事な美濃から雪の熊野、そして常陸と季節と場所の変化が舞台を美しくしております。舞台は何時も新鮮で観客はまったく飽きません。

この芝居はいわゆる小栗判官モノですが、個人的にこの芝居のストーリー、登場人物の立ち位地が、いわゆる小栗判官伝説と比べてスッキリしていて好きです。

芝居の小栗判官は、幕府方のエリート武士。照手は善人の横山郡司の娘でお姫様。国崩しの大悪は照手姫の叔父、横山大膳。小栗判官の脚萎えは、婚約破棄の上母親に殺された小栗判官の許婚お駒の怨念。

これは、小栗判官は性格が破綻した変人、照手は遊女あるいは悪人の横山大膳の娘、小栗判官は毒殺されたものの地獄から生き返り脚萎えになった、とする、芝居の元になった小栗判官伝説より自然にさえ思えます。

また、芝居の裏スジである漁師浪七の話も、鬼瓦の胴八、矢橋の橋蔵など登場人物が鮮やかで印象的。

私はこのお芝居を随分見た気になっておりましたが、実際に見たのは平成5年と平成9年の公演だけ。もっとも公演中は何度も通いましたが。

特に平成5年の公演では故宗十郎丈が、滑稽な矢橋の橋蔵と、重厚なお槇の二役を見事に演じて未だに鮮明に記憶しております。

この次は矢橋の橋蔵を市川中車で見ることができるかも知れませんね。鬼瓦の胴八はちょっと難しいでしょうけど。

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2011年10月 5日 (水)

センブリの花

Rimg0470_w Camera : Richo GX

故郷の裏山には今頃センブリの花が咲いていることでしょう。

この写真は2004年の10月10日に撮ったものです。この時はもう夕方で、充分な光も無く、持ち合わせた小型のデジカメで、アップを1枚撮るのがやっとでした。

この花をもっとしっかり撮りたい、そう思いながら果たせず、随分月日が経ってしまいました。そこで、決意を新たにする意味で、不本意ながらその時の写真を載せてしまいます。

この手形山という標高100弱の山は、昔、村人たちの「草刈場」として扱われていたので、何時も綺麗に均等に草が生えておりました。

「草刈場」という言葉は、今では政治の世界くらいで、それも悪い意味で使われることが多いのですが、昔は村人が飼っている家畜の為、順番で草を刈ることが出来た貴重な入会地でした。

やがて、家畜が少なくなると、このつるつるに整備された山はスキー場に変わりました。私もおぼろげに、この山がスキー場だったことを記憶しております。

そして、その時少ない雪でもスキーが出来るように表土が足されたのだと思います。スキー場が閉場した後はいたるところで、赤土が露出した不思議な景観となりました。

そんな景観の中で、秋になると、この小さく可憐な白い花が荒れた土壌を癒すように咲いていた。

この植物が薬草だから、より強くそう思ったのか、秋の黄色い陽光が効果的なコントラストを演出するから、そう見えたのか知りません。

ただ、その光景は大地を癒す、そんな光景として、私の原風景の一つになっております。

Rimg0471_w ただ、原風景の常として、その風景はだんだん美化されてしまい、近い映像を探すことを、どこかで拒んでいるのかも知れませんね。

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2011年10月 2日 (日)

kodakのフィルムは永遠に不滅.....と思いたい

Dscf2913_w 先週Kodakが破産法に詳しい弁護士事務所と契約をしたとか、与信枠を引出したとかという噂で、株価が急落しました。現在の株価は1ドルにも満たないところまで来ております。

これは、Kodakの黄箱のフィルムに憧れ使用してきた者にとっては、隔世の感があります。あのKodakでさえそうなのだ....と。

デジタルカメラのおかげでフィルムの衰退は明らかで、Kodakだけでなく、フジフィルムもフィルム製品の廃止、縮小を続けておりますが、フィルムメーカーのノウハウを生かしたデジタルカメラを作ったり、他の分野を開拓したり、何とか生き延びていくものと思っております。

そして、新しく本業となった業務の傍らで、赤字にならない程度で細々とフィルムを造り続けてくれれば、それで良いと思っておりました。

実際、富士フィルムは順調に生き残りの道を探っているようだし、Kodakにしても、ペンタックス645の中判センサーなどを見ていると、Kodakならではの世界がまだあることを実感させられたものです。

実は、Kodakもフィルム部門は黒字なんだそうです。難儀しているのは、進出した印刷機械のほうで、これは映像の出力がディスプレーに変わってきた過程でいかに技術が優れていても、難儀せざるを得ない分野だったかもしれません。

あと、気になるのはKodakの株は某ファンドによって買い占められていた事。日本でもいくつかの会社でおなじような事がおこっておりますが、これは上場するメーカーにとっては不幸な事です。

彼らは、会社の持つ生産施設の不動産を値踏みし、知的財産を値踏みする。その結果で会社の価値を判断し、投資し対応するリターンを求める。

どんなに物的、知的財産があっても、それはすぐにお金になるはずは無いのですが、一度、投機の世界に引き込まれてしまうと、目に見える結果を早急に求められますから、じっくりと戦略を練る時間も無いのかも知れません。

ただ、どんな形になろうとも、Kodakのあの黄箱のフィルムが無くなることは、あってはならないでしょう。絶対に。

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