絵画的 VS 写真的
Camera : Hasselblad 500 C/M, Lens : Planar 80mm F2.8, Film : Presto,HC-110
先日、私がよくお邪魔する画像掲示板で、管理人様が「感化」されたというプラハ在住の女性の写真をフリッカー?で見て、私も半分感化されました。
でも、それにも増して感化されたのは、コメントで、絵画的な構図のプラハより写真的な大阪の写真がイイという言葉でした。
実は、プラハもコテコテしたところはあるのですが、圧倒的に美しい旧市街があるので、それを美しく写真に撮りたいというのは自然な条理です。そしてあの旧市街はどうしたって絵画的になる。
では、日本的な景色はどうなのでしょう。近くの浜離宮で、お昼休みに実験してみました。絵画的にならないよう、写真的、写真的と唱えながら撮影してみたのですが。
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コメント
りっぱに絵画的ですよ。モノクロにした時点で
作品になってます。カラーシャシンはやっぱり
現実に引き戻されますね。最近流行のボケた写真は
別ですが・・・。まあこれも一つの技法ですよね。
投稿: グライフ | 2011年2月12日 (土) 10時25分
グライフ さま今晩は
確かに、白黒を選んだ時点で作為が出てきますね。
さらに言うとフォーマットを選ぶこともそうでしょう。
実は、この日、朝は雨が降っていたのでカメラを持ち出しました。浜離宮は周りのビルをどう扱うか考える必要があって、もやってくれれば、かえって好都合と思えたからです。
結局、カメラを使っている以上、そのような事は常に考える訳で、絵画的になることは避けられない事かもしれません。もちろん悪い意味では無く、です。
投稿: kk | 2011年2月12日 (土) 18時03分
絵画でも写真でも表現(自分の為というよりも見せる行為)として見た場合、見る側(鑑賞に慣れた)はそれが既製の表現か、あるいは新しい表現か?そんな見方をする人は多いのもこの世界です。
わたしは風景写真はあまり撮りませんが、富士山の写真を見るのは好きです。ただし、今ダイヤモンド冨士の写真を見せられてもそれは最初に見たときの驚きは既に薄まり、かえって、ありがちな普通の夕景の冨士のほうに軍配が上がるかもしれない?と思いますと、ある意味新しい驚きを何時も鑑賞の楽しみの一部にしているのは、絵画の評価でも同じ様なものなので、あながち鑑賞方としては、遠くないのかも知れません。
ただ、そういう新しい表現をわたしたちが追えるかと、オヤジには限界があります。
であれば、奇をてらったようなものでなくても、撮影者や描き手の思いが伝わるような写真や絵であれば、それはとても良いもの!として見させていただきたい。見ながら思いを膨らませられるようなものならば、記録であろうと表現的な物であろうと、意外と楽しませていただけるということです♪
投稿: ら・ぺるら | 2011年2月12日 (土) 19時57分
ら・ぺるら さま今晩は
=>新しい驚きを鑑賞の楽しみの一部にしている
これ、ありますね。確かに。鑑賞に驚きが加わるのは快感です。
でも、それにこだわったら、私たちの道もふさがってしまうのでしょうね。
でも、こんな話を写真を通して出来ることは、楽しいなぁ。
投稿: kk | 2011年2月12日 (土) 21時40分
その感化された本人でございます(汗
私は東欧へ行ったことがないので、あの方の写真を見て感動しました。
ああいうのが日常的に撮影できる環境に、数日間でもいいから・・という
憧れをこめて。
次回はコテコテ新世界ででもやってみましょうかね(笑
投稿: SCR | 2011年2月14日 (月) 08時28分
わたし写真を始めたころプラハに行きました。まだしっかりビザが必要だった頃です。T2にエクタクロムを詰めて色々歩いたのですが、手振れとあの機種特有のAFで一つもシャシンになりませんでした。ブルノに友人がいるので再挑戦したいと考えている今日この頃です。
投稿: ぐるぴん | 2011年2月14日 (月) 09時36分
SCR さま今晩は
プラハは特別です。チェコの機関車なんて、見る影も無く落書きで真っ黒です。私も以前、一日だけ撮った写真をフォトショップで加工したくなりました。
ぐるぴん さん今日は
ブルノも良い街のようですね。あのあたり腰をすえて撮影したいものです。お友達が居るのは良いなぁ。
投稿: kk | 2011年2月14日 (月) 22時59分