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2010年7月31日 (土)

飛行機に乗り遅れてしまったら

Dsc01067_w (ようやく見えたイタリアの灯、長かった、泣きそう)

実はスプリトの空港に関して、駅の近くから連絡バスが出ること以外よく知りませんでした。
連絡バスの場所はすぐ解り、バスの時間を聞くと6時10分。微妙な時間です。
この時、もう一度E-mailのコピーを見れば、タクシーで行かなくては間に合わないと気づいたと思うのですが、何となく連絡バスを待ってしまいました。
バスの発着所が美しい旧市街の近くだったので、魔がさしたのかも知れません。

日本を発つ前は、この便だけオンラインチェックインが出来ないようになっているから、気をつけようと思っていたのに、暑さのせいで、気をつけるなんて面倒なことはすっかり忘れておりました。

旧市街を一回りしてバスに乗り、空港にめでたく着いたものの、チェックインカウンターはすでにクローズしておりました。小さな空港で飛行機は目の前にいるのに乗れません。格安航空会社はお客を待つことなど絶対にしないのです。
オンラインチェックインさえ出来ていれば、セキュリティチェックもパスポートコントロールも5分で終わり、搭乗待合室でビールさえ飲める時間のハズなのに、カウンターは閑散としてチェックインが出来ない。

可能な限りのアピールをしましたが何にもなりません。顔からみるみる血の気が引いていくのが解ります。「ドイツに行きたいのなら明日にはケルンに行く便があるよ」と空港職員は教えてくれました。私が乗ろうとしていた便はEasy Jetのベルリン行きなのです。
今日はベルリンの駅近のホテルに泊まって明朝4時の列車に乗ってポーランドに向かうはずでした。
「私は、明日はポーランドにいるはずなのでケルンでは......」と私、「そんな人間が何故、今ここにいる」みたいな顔でみられました。

とにかく、この事態をなんとか打開しなくてはなりません。スプリトに帰ってホテルを探し、明日の汽車か飛行機でどこかに逃げ出すか、フェリーもあるにはあるなぁ。それより街に帰るバスはあるのかよ。あせるばかりで考えはまとまりません。
せっかく空港にいるのだから、ここから飛行機に乗って別の場所に行けば良いじゃないか。と気がつくまでに時間がかかりました。

これから残っているフライトは...オスロそれにモスクワかぁ、ちょっと遠いなぁ、後はどの国にあるのか解らない空港行きだし...。とその時、ミラノマルペンサの文字を見つけました。

これだ、と思い、ミラノ行きのチケットが欲しいと空港職員に申し出たら、残っているとの事。すかさずミラノ行きの切符を手配して、その次です。飛行機がミラノマルペンサに到着する予定時間は22:40。ミラノ駅の近くか空港の近くのホテルを探す必要があります。
空港内を探してインターネットの端末を見つけ検索し、ホテルの空き状況を調べ、空いていそうなホテルの電話番号を調べます。

空港にはクレジットカードで通話できる国際電話があったので、その電話で予約と時間的に遅くなることを告げ、なんとかホテルを確保。空港のちかくのホテルが取れたのでなんとかなるでしょう。

ところが、この飛行機は遅れに遅れ、本来ならミラノに到着する時間にスプリトを離陸するようです。乗れなかった飛行機は定刻に出たのに、なんとか確保した夜遅い飛行機は2時間も遅れるなんて、どういう罰ゲームなのだと思いながら、残ったクロアチア通貨でビールを飲み続けました。

結局ミラノに着いたのは深夜0時過ぎ、タクシーにはそのホテルならシャトルバスに乗ってくれと言われ、空港のターミナル間移動シャトルバスが来るのを待ち、明かりが見えるホテルにここから歩けというところで降ろされ、やっとホテルに着きました。明日からの予定は全てパア。でもまあ、今こうしてホテルのバーで自棄酒をあおれることは幸せです。

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2010年7月29日 (木)

ドブロブニクからスプリト行きのバス

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Dsc00918_w (ドブロブニクを出て最初の休息所、この辺りまでバスはまだのどかな雰囲気です)

ドブロブニク空港から国際線も発着しますが、毎日便がある訳ではなく週末が中心になります。Easy Jetも一日置きの運行です。本来ならドブロブニクに着いて最低2日泊まって、帰るのが正しい訪問の仕方なのでしょう。私はなるべく多くの公共交通に乗ることが目的なので、翌日には出発してしまいます。ドブロブニク空港が奇数曜日に発着するなら、そこから約200Km
離れたスプリト空港からは偶数曜日に発着するからです。

この間はバスでの移動になりますが、このバスがなかなか曲者です。まず、本数が少ないこと、夏は乗客が多く希望のバスに必ずしも乗れないこと、バス亭も多く途中で乗り降りが頻繁なこと、バスの運行会社はまちまちで一本バスを違えると切符を買いなおさなければならない事が上げられます。これは実際現地に行ってみなければ解らないことです。

日本の常識で言えば、長距離バスが通路に乗客を立たせて運行するなど考えられませんが、ここでは普通です。バスだけが移動手段であり、そのバスすら本数が無いので乗らない、乗せない訳にはいかないのです。

もし、ここのバス事情をもう少し詳しく知っていれば、この後に起きる悲劇を避けることも出来たでしょうが、ホテルのフロントは8時は早すぎるし、11時のバスがあるからここを10時に出れば余裕で間に合うよ、と気楽に教えてくれて、私も気楽に構えておりました。結果的に予定していた飛行機に乗れなくなり大変なことになるのです。

ドブロブニクを出たバスは海をところどころに見ながら山の斜面を開いた国道を走りやがて国境にかかります。一瞬「??」と思いますが、クロアチアの海岸線に数キロ、ボスニア・ヘルツェゴビナの領土が食い込みます。数分後また国境を経てクロアチアに戻ると、突然線路が現れてびっくりします。
ちゃんと電化もされて、貨車も見えます。鉄道はスプリトまでしか来ていないハズなのに何故?と思っていると、これはサラエボからプロチェまで伸びている鉄道だとの事。これはバスの隣の席に乗りあわせて何かと親切にしてくれたパリに住むモンテネグロ出身のおば様が教えてくれたのですが、日本に帰ってぐーぐるマップで見ると、ボスニア・ヘルツェゴビナの地図は鉄道も小さな道路の表記もありませんが航空写真でみるとちゃんと鉄道が伸びていて実在することが確認できました。

ところで、この親切なおば様はモンテネグロ出身、パリで結婚してパリに在住、休暇を利用してモンテネグロに帰り、これからスプリトに住む妹の所に行く途中だそうです。バスの車掌との小さな揉め事を通訳してもらった他、ユーゴスラビアの事モンテネグロ、クロアチアの事をいろいろ教えていただきました。水泳が趣味だそうで、私がドブロブニクで泳がなかったことをとても残念がり、アドリア海で泳ぐことを進められました。彼女は昨年、スプリトの島に400m四方のプライベートビーチを買ったそうです。何も建てることは出来なくてテントを張って寝泊りするしかないそうですが、それでも日本人の私からみると夢のような話です。

Dsc00924_w 彼女のおかげで、バスの長旅も苦にならなかったのですが、このバスは途中マカルスカのような綺麗な街を通って5時間弱かけてスプリトに到着します。写真の一角に長距離バス、鉄道駅、フェリーターミナルがあります。交通の要所のハズ.....ですが、妙にこじんまりしていますね。そして、ここでとんでも無いことがおこります。

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2010年7月28日 (水)

私的、ドブロブニクな光景

私は、ドブロブニクのような古都を訪れる時には、基本的に街の中の、それも古い建物を改造したようなホテルに泊まることにしております。交通機関が使えないので、荷物の運搬が大変で、石畳の道ではキャスターも役にたたず、挙句の果てに、似たような建物からホテルを探しだすことが出来ずに、同じ場所を3回くらい回ったりもしますが....。

車が入らない旧市街では、凶悪事件の心配も、交通事故の心配も無く、夜遅くまで観光客が談笑し、徘徊し、くつろいでおります。そのような光景はまるで中世の祭りの夜にタイムスリップをしたようで、一人旅であっても、まったく寂しさを感じません。安らぎます。

ドブロブニクに一日滞在して、自分なりに切り取った風景を時間順に貼ってゆきます。ドブロブニクの雰囲気が伝われば幸いです。

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2010年7月27日 (火)

ドブロブニクはこんな街

Dsc00463_w ドブロクニク空港を出たバスはアドレア海沿いに北上し、やがて海岸線から急斜面であがる丘の斜面に沿ってはしり、ドブロブニクを俯瞰しながら、九十九折で降りてゆき、街の入り口の城門に着きます。

とても美しく興味深い街で、「魔女の宅急便」「紅の豚」のモデルになった街とも言われます。この街には訪れた人の数だけ風景の切り取り方があると思いますが、まずは無難なパノラマでもごらんください。

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2010年7月26日 (月)

ドブロブニクへのフライト

Dsc00438_w 今回の旅行の主な目的地はドブロブニクでした。アドレア海に面し、中世の面影を維持している都市でありますが。私はこのあたりの海をモデルにしたと思われる「紅の豚」を見て以来、このあたりの景色を実際に見てみたいと思っておりました。

しかし、この街は遠く、鉄道も通っておりません。通常はバスでのアプローチです。しかし、空港はあるので、格安航空会社がこの地を目指して飛ぶ空港に、その数少ない便にあわせて到着することが必要になります。

私の旅程では、ミラノマルペンサからEasy Jetを使うのが一番適しており、これにあわせてマルペンサに向かったしだいです。

Easy Jetですが、今回私はこの航空会社に大いに泣かされ、また逆に助けられました。一言で言えば、合理性を追求した航空会社です。

ただ、この航空会社の良いところは、全席自由席で早く行きさえすれば、またスピード ボードと言って10ユーロ余分に払えば、真っ先に搭乗でき好きな席に陣取ることができます。

せっかくミラノからドブロブニクに飛ぶなら席は進行方向の左側。クロアチアのアドレア海に面した海岸線を楽しみながらフライトすることが出来ます。

残念なことは、Easy Jetの機体は窓があまり綺麗ではないので、せっかくの景色もモヤがかかって見えるところでしょうか。

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2010年7月25日 (日)

スイスからミラノマルペンサ空港ヘ

Dsc00421_w (ミラノ第二ターミナル、実は第一ターミナルより街に近い)今回の旅行の第二の鍵と思っていたのが、スイスのBrigから列車でガララテGallarateまで行き、そこからミラノ マルペンサ空港まで移動することです。

ミラノマルペンサ空港のホームページを見ると、アクセス方法のうちの一つとして、ガララテからの路線バスが掲示されております。しかし本数が少なく、いつでも利用できるものではありません。

でも、路線バスが出ているということは、距離的には近いということで、駅でタクシーさえ捕まえることが出来れば、短時間で移動できるハズです。

残念なことに、このあたりの情報はネットでも出ておりません。ガララテがどの程度の駅なのか、タクシーは居るのか、マルペンサ空港までどれくらいで行くのか検討がつきません。

一応、マルペンサ空港にはイタリア鉄道の線路が敷かれており、私鉄の車両を使うマルペンサエクスプレスのほかに、ローカル線も出入りしているので、ガララテから各駅停車を乗り継ぐと1時間弱で着きます。

そう考えると、ブリーグからユーロシティ(EC)の電車でミラノまで行き、そこから空港連絡バスに乗るより、ガララテで途中下車して行方を探したほうが、確実に早く着くと思われます。

Dsc00416_w (ミラノへ向かうユーロシティ、お客に見えるのはワンコも含めて警察、スイスからEU国へはパスポート検問があるのです)私が乗ったECはBrigを9:44に発車し、Gallarateには11:03到着、駅でタクシーを捜して無ければ、Gallarete11:09発車の各駅停車に乗り、Busto Arsizioで11:33発のMalpensa Aeroporto行きに乗り継げば11:53にマルペンサ空港に着くでしょう。

Dsc00417_w (タクシーから見るGallarateの駅前)もっともイタリア鉄道を利用して分単位の乗り換えを行うことなど無謀で、案の定私の乗ったECも遅れてガララテに到着しました。ただ駅を見た瞬間、コレはいける、タクシーが居る、と確信できたので出口にまっしぐら、タクシーを捕まえて、マルペンサ空港の第二ターミナルまでいくらか聞きました。

その結果は17ユーロ。まったく問題ありません。果たして、タクシーは10分少々で第二ターミナルまで着き、メーターも17ユーロを指しておりました。怖くなるくらいスムーズでした。

ミラノマルペンサ空港は第一ターミナルと第二ターミナルがあり、一般的に使われるのは第一ターミナルで、すべての空港アクセスは第一ターミナルを基準に作られております。鉄道駅にしてもそうで、たとえ第一ターミナルに着いたとしても、そこから第二ターミナルまではシャトルバスを待って30分くらい余計にかかるのです。位置的には第二ターミナルは高速を降りて第一ターミナルへ向かう途中にあるので、タクシーを使うことが出来れば、第二ターミナルへのアクセス時間は圧倒的に短縮できるのです。

第二ターミナルは格安航空のEasy Jetくらいしか使いませんが、格安航空会社だからこそ空港へはなるべく早く着いて、フライトを確保したいじゃないですか。

もし、今回ECでミラノまで行っておればミラノ到着11:35そこから空港連絡バスでマルペンサ空港到着はおそらく午後1時くらい。鉄道の乗り継ぎだとマルペンサ第二ターミナルへは午後12時半くらい。ガララテからタクシーだと11時半には着きましたから、いかに違うかお分かりになると思います。

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2010年7月24日 (土)

氷河急行脱線事故に思う

Dsc00318_w (これは氷河急行と同じ車両が使われるローカル線の写真です)

昨夜Blogを更新して、朝起きてみると、氷河急行脱線のニュースにびっくり。それも自分が訪ねたばかりの、ラクスからフィエーシュの間なんて。事故でお亡くなりになった方もおられるようで、なんともお気の毒な事で冥福を祈るばかりですが、自分としてはちょっと考えにくい事故なのでそのあたりの話をしようと思います。

Dsc00380_w (ラクスを出て最初の高架橋、relaxの看板が面白い、事故はこの次の橋の手前で起こったようです)

事故が起きた氷河急行はツエルマットからサンモリッツに向かう列車。臨時の氷河急行で先行するD906か後続のD908。氷河急行は人気の列車ですがアプト区間があるツエルマットからディエンティスムッセーまでは長大編成を組めないので分割しているものと思われます。事故があったのはラクスとフィエーシュ フェーリエンドルフの間、森の中の高架橋の100m手前で左にカーブするあたり。

新聞の写真を見ると線路が曲がっているので、暑さのせいとも思えますが、このあたりは標高も高く、また森に入ったところなので、なんともいえません。

Dsc00351_w (ラクスを発車してフィエーシュに向かう朝の混合列車)

この近くの街であるブリーグを出た列車は川沿いに走り、アプトで高度を稼いで、アプト区間を抜け、さらにループトンネルで高度を上げ、ラクスに入ります。ラクスはのどかな高原の村で、ラクスを出た列車は古い町並みを避けるようにカーブしながら、フィエーシュに向かいます。この間、スピードもそんなに出すとも思えませんが、事故の区間は古い町並みから離れ、森に入ったゆるいS字カーブのあたりですから、スピードが出てしまっていたのかもしれません。

Dsc00386_w (のどかな朝のラクス、上の高架橋の方角から反対側の光景)

欧州の観光地は東洋人も中国系、韓国系が多いのですが、何故かスイスは圧倒的に日本人が多くなります。それも年配の方々。この列車も乗客のほとんどが日本人だったようです。

年配の日本人ツアー客はマナーも良いし金離れも良いので、最も歓迎される観光客だし、またスイスは多少物価は高いものの、そのような観光客がのんびり過ごせるのどかさがあります。

その意味で、お互いが理想とする組み合わせなのですが、今回の事故が後を引かないように祈ります。

PS.その後のニュースで事故を起こした列車は後続のD908であることが解りました。また速度もあがっていなかったことも。線路の問題である可能性は薄いですね。いづれ原因は解るでしょう。

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ゴルナーグラート線には乗れず

Dsc00308_w 今回のスケジュールで、本来ならツエルマットからゴルナーグラート線に乗り換え、夕暮れのマッターホルンを見るハズでした。しかし、運悪く、ツエルマット~フィスプ間で、その日から夜間工事がはじまるようで、ある列車から後は、途中駅から代行バスでの運行になるようでした。

私はかれこれ3日間ろくに寝て居ないし、また夜間にバスを探してうろうろするには疲れ果てていたので、区間運休になる前にフィスプに降りることにしました。

Dsc00291_w 幸いマッターホルンも半分雲に隠れていたのであきらめも付き易い。ゴルナーグラートへは次の機会に行くことを願い、ツエルマットを後にします。

写真を見ると解ると思いますが、この路線はアプト式かつ三相交流の電化で架線が二本あります。そういう意味でも乗りたい路線なのですが、また今度です。

ツエルマットは日本で言うと上高地と軽井沢を足して2で割ったような街で、軽井沢の賑わいと車の乗り入れが禁止されている上高地の静かさが同時にある街です。

ここでは、街を行きかう車は全部EVもしくは馬車。バスもタクシーも運搬車も工事車両も全部EVです。

Dsc00297_w バス

Dsc00299_w_2 タクシー

Dsc00301_w ホテルの送迎バス

Dsc00300_w 運搬車

Dsc00295_w トラック

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2010年7月23日 (金)

Brienz Rothorn BahnのSL

Dsc00190_w Brienz Rothorn Bahn:ブリエンツ ロートホルン鉄道(BRB)はスイスで唯一の非電化登山鉄道です。この鉄道では蒸気機関車がまだ現役で赤い客車を夏季の間山頂に押し上げて行きます。

私はこの鉄道の蒸気機関車に興味がありましたが、気になることもありました。ここの蒸気機関車はオイル炊きであるという事を耳にしたからです。

私に言わせれば、蒸気機関車は石炭を炊いて走るもの。石油くさい煙は蒸気機関車の風情を壊します。そう言えば、ここの機関車には石炭を積むタンクも見当たりません。

鉄道のホームページを見ると、石炭炊きの蒸気機関車もありそうです、ただ、これらの機関車はトップシーズンの臨時用、またはイベント用に限られるようです。

なにはともあれ、行ってみなければ解りません。スイス国鉄とメーターゲージの私鉄を乗り継ぐとブリエンツ駅に到着します。

BRBの駅はこの向かいにあります。その方角からは明らかに石炭炊きの蒸気機関車のにおいが感じられます。やはり居るんだ、と、確信しました。

ところで、ホームページによると、1号機から5号機までが1891年から1892年まで製造された200馬力の石炭炊き蒸気機関車。6号機と7号機が1930年代の300馬力の石炭炊き蒸気機関車。12号機、14号機、15号機、16号機が1990年代に製造された燃料オイル炊きの408馬力の蒸気機関車です。

もちろん主力は12号機から16号機までのオイル炊き蒸気機関車で、2両の客車を押し上げて行きます。私が訪れた時も15号機と16号機が10:45発のダイヤで継続して出発して行きました。

しかし、その日が違ったのは、その後に11:15発の臨時便が出たこと。この臨時便は1両編成で2号機がスタンバイしておりました。

紛れも無く本物の蒸気機関車、石炭を炊く煙が立ち上り、蒸気と混じった独特のにおいがしてきます。

Dsc00186_w しげしげと、機関車を見てみると、燃料の石炭は運転士の足元に転がっております。タンクが無いはずです。

そしていざ発車してみると、オイル炊きの機関車とは別物のブラスト音と煙を噴き上げます。やはり、蒸気機関車はこうでなくてはなりません。

煙は当然別物としても、このブラスト音の違いは何でしょう。おそらく新型の蒸気機関車は蒸気のコントロールが容易なのでシリンダーの形状を工夫して高トルクがでるように設計されている為と推測されます。

その為、ブラスト音が細かくなり、蒸気機関車のそれよりも、空気ポンプみたいなものになっているのだと思われます。

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2010年7月22日 (木)

ドイツ鉄道は運休が多すぎ

Dsc00129 今回の旅行のケチは初日からやって来ました。デュッセルドルフで乗るはずだったCNLが、急遽運休になったのです。

私が乗る予定だったCNL40419はデュッセルドルフ中央駅を23:12発。ドイツの駅で何時間も時間をつぶさなくてはいけない危険性がありましたが、CNLのシャワー付1等個室寝台に乗ってみたいという欲求で、これを計画をしました。

デュッセルドルフ中央駅では、一番安全と思えるホームのベンチで、ビールを飲みながら、発着する列車を眺めながら4時間ほど時間をつぶしました。夏だからこそ出来る時間つぶしです。

しかし、定刻の時間を過ぎても列車は現れない。そのうち、列車はキャンセルされたとの放送が入り、ミュンヘンに行く乗客は代行バスが出るとのことでした。

私はミュンヘン行きと分割される列車でチューリッヒに向かう予定だったので、駅の案内に聞くと駅から200m離れたところにバスターミナルがあって、そこから代行バスが出るのでそれに乗れとのこと。

仕方なく、バスターミナルを必死の思いで探してたどり着くと、そこにはミュンヘン行きのバスが待っておりました。係員にチューリッヒにはどのバスか聞くとそんなモンは無いとのこと。あせってCNLの予約切符を見せると「この列車でチューリッヒに行く奴が本当に居るのか」みたいな事を言われ、すぐ「駅に戻れ、バゼル行きのICE609が40分遅れで来るからそれに乗ってバゼルに行き、バゼルでチュリッヒ行きに乗り換えろ」との事。この時点であと5分。荷物を持って駅まで全力疾走して列車に間に合いました。デュッセルドルフ中央駅0:07分の事でした。

ICE609は夜行の電車特急ですがデュッセルからバゼルの間で先行したCNLの寝台特急を抜きます。この関係は大阪からと東京まで先行した「あさかぜ」を後発の「サンライズ」が抜く構図にそっくりです。何故この電車は40分遅れでも走るのにCNLは走らない、と、釈然としないながらも仕方がありません。先に進めるだけでも幸いと思わなくてはならないでしょう。

ところが、このICE609もスイスの国境駅に到着する前にこんな放送が入りました。「この列車は40分遅れております。列車の遅れをお詫びします。この列車はバゼル バッド駅で特別に止まります。バゼル方面へは各駅停車に乗り換えバゼルでその先の目的地までICに連絡します」。

この放送の解釈ですが、日本の鉄道に慣れている人なら、「列車が遅れているので、乗り換えに便利な駅に臨時に停車します、お急ぎの方は乗り換えてください」と解釈します。私もそうでした。しかし、バゼル バッド駅で他の乗客に「何故降りない?」と聞かれ「いまさら急いでも仕方ないので私はバゼルまでこの列車に乗って行く」と答えたら、「この列車はここから先には行かない。ここで終わりだ」との事。

そう、ドイツ鉄道で「特別に止まります」と言えば、そこで列車は打ち切られるということでした。たかだか40分遅れでも折り返し運転の準備の為に、列車は打ち切られるのです。

実は、こういう経験は最初ではありません。「またかよ」と言ったレベルで、過去ドイツ鉄道を利用した旅行で、日程のうち、最低1回は出くわしていたことなのです。

この写真はバゼル バッド駅。前夜からここまで1枚の写真もありません。深夜、見知らぬ街に放り出されるという恐怖がいかに大きかったか、物語ってますね。

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2010年7月21日 (水)

三脚から一脚にしたのに使えない

R0013649_w 今回の旅行はいろいろな計算違いがあって、散々でした。

その中の一つに三脚があります。最初は小型の三脚を持って行く予定でしたが、直前に一脚に変え軽量化を計りました。でもその一脚でさえ、要らなかった。一回も使わなかった。

それだけでなく、途中で捨てようと思うくらい邪魔だった......。実際デュッセルドルフの空港で捨てようとして、職員に止められなかったら今、ここに無かったのです。

実際欧州の観光地で三脚なんてものは使えません、人も多いし足場も悪い。一脚だってそうです。立ち止まってカメラを構えることは他の観光客もすることだから問題無いにしても、三脚や一脚を出すのは邪魔です。トラブルのもとになるだけなので、こんなもの使わないに越したことありません。

日本の「撮鉄」風に駅のホームで三脚を構えるのも、常識的にありません。結局一回も使わないで終わりました。

欧州の空港で、小型の一脚はディパックに入っていればほとんど機内持ち込みが可能でしたが、デュッセルドルフはダメでした。空港のセキュリティのオヤジは「コレは凶器になるからダメ」と言ってどうしても機内持ち込みを許可してくれませんでした。あげくの果てに一脚を伸ばしてチャンバラの真似をするので、「使い方を知らなかったら教えてやる」、「もし、欲しければ、あんたにあげる」と申し出ましたが断られました。

「それなら、捨てる。どうせ使えないし」とゴミ箱を指差しましたが、「お前は、機内に案内されるまで一時間以上ある、どうしてチェックインカウンターに戻って預けないのか、いまから5分で出来る」と説得され了承しました。

結局、これが間違いのもと。私はデュッセルドルフからヘルシンキでストップオーバーして日本に帰る予定だったのですが、荷物は直接日本に送られるラインに乗ってしまったのです。

ヘルシンキの空港で荷物が受け取れず、翌日の東京行きのコンテナから引っ張りだしてもらったのですが、そのせいでヘルシンキ空港を出れたのは深夜0時を回っておりました。

教訓。海外旅行には三脚も一脚も要らない。邪魔なだけ。

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2010年7月12日 (月)

今回の作戦

R0013648_w 今回の欧州旅行は格安航空会社を最大限に利用することが目的!なので、荷物の整理が大変です。

大きめの中国製ディパック、ウエストパックにカメラマンベストに荷物を分けます。

今の段階で三脚も入っておりますが、これ、本当に使うのでしょうか。使うとしたら何処で?なまじっか今回NEX-5を買ってしまったので動画も撮れることを前提に三脚を持ったのですが、飛行機と電車に乗るだけの旅で、本当に使うのか怪しいところです。

これを止めてしまおうか、そうすればディパック1個ですむ.....。

こんなことを未だに悩みながら、さっきまで切符の手配をして、選挙を見て、ワールドカップを見て、徹夜で飛行機乗って爆睡.....。だと良いのですが、関空経由なので、すぐには眠れません。

そういえばカラーフィルムも欲しいなぁ。関空の側にヨドバシはあるかなぁ。

せっかく欧州まで行って、期限切れ3年もののフィルムだけと言うのも何か寂しいような気がします。

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2010年7月10日 (土)

海外の鉄道切符

R0013646_w 海外の鉄道の切符も最近では直接日本から買うことが出来ます。方法は1、E-Ticket、2-PDF印刷、3、郵送の方法で切符を送ってもらいます。

支払いはカードで行います。これはなかなか便利で、コストも安くつくのですが、基本的に優等列車の予約が主になります。

そのかわり、優等列車であればドイツを発車する列車であれば、他の国に入る国際列車でもドイツ鉄道で切符の入手が可能です。

欧州への鉄道旅行はユーレイルパスが便利ですが、このような優等列車は別途料金が必要になるし、またパスが無くても各種の割引があるので、通常の旅行ではどちらが得か微妙なところです。

私のような者には良い時代になりました。

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2010年7月 4日 (日)

NEX-5のオートHDR機能

Dsc00089_w Dsc00088_w Camera : NEX-5, Lens:Sigma 100-300mm DG

NEX-5にはオートHDR機能と言うものが付いております。HDRとはhigh dynamic range imagingの略で、ダイナミックレンジを広げる手法です。

ダイナミックレンジとは暗部と明部の許容度みたいなもので、明部を飛ばさず暗部を出す、あるいは、暗部をつぶさず明部を出すことを目指しています。

通常、写真は同一の条件で光景を切り取る作業ですから、このダイナミックレンジを広げることは容易なことではありません。

このNEX-5は露出を変えて撮影した3枚の写真を自動的に合成してJPEGを書き出すという反則的な手法でこれを可能にしております。

作例では上がオートHDR下がノーマルなのですが、思ったほどの違いは無いような気がします。

オートHDRを使用すると2秒のセルフタイマー機能が使えなくなりますから、この程度の差なら、暗い時は使用がためらわれます。

ただ、JPEGの合成により、メリハリは若干シャープになるような気もします。下はピクセル等倍による拡大ですが、上のオートHDRのほうがメリハリがはっきりしております。これは合成の過程でデータが選択されて、あいまいな部分が切り落とされているせいなのかも知れません。そのせいか、HDRの方がファイルは小さくなります。

Dsc00089_w1 Dsc00088_w1

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