新橋演舞場の助六所縁江戸桜
新橋演舞場に櫓が組まれました。これで、演舞場も芝居小屋としてお上からお墨付きをもらったことになります。新歌舞伎座が完成するまでの3年間、ここが東京の歌舞伎の本拠地になる訳なので、がんばってほしいものです。
その演舞場で、先月に引き続き、助六所縁江戸桜が上演されております。ちなみに、この名前の演目は市川宗家だけのもので、当代では団十郎丈と海老蔵丈が助六を勤める場合のみ使われる名前です。先月は歌舞伎座で団十郎丈の助六、今月は演舞場で海老蔵丈の助六という訳です。
助六自体はポピュラーな役柄なので他の役者も多く勤めますが、その場合、「助六」以降の演目の名前が役者の家系によって様々に変わります。そして、助六所縁江戸桜と他の助六では何が一番違うかというと、助六縁江戸桜は助六の出端の時、河東節が使われる事です。
河東節とは浄瑠璃の一派ですが、歌舞伎でこれを演奏しているのは、贔屓の旦那衆、いわば素人です。素人でも、家元のお弟子になり、稽古を積んで名取りになると、助六所縁江戸桜の三浦屋の中に組まれた格子の向こうに鎮座し、曲を語ることが出来るのです。演目の最初に「河東節御連中様、どうぞお始め下されましょう」という口上によって語り始められることからも、これは単なる下座音楽では無く、特上の客が舞台に参加して、役者と一緒に芝居を演じている事が解ります。
ある意味、歌舞伎趣味の極みです。普通、歌舞伎は梨園の閉鎖社会により成り立っておりますが、この河東節連中の参加は、歌舞伎の中で唯一開かれた場所でもあります、女性もおります。女性も、男社会の歌舞伎の舞台に、舞台装置の遊郭の中とは言え、堂々と歌を語れるのです。今回は先月から連続ですが、旦那衆ですから、余裕で参加できた事でしょう。
私は、この河東節こそ、助六によくなじむものと思っております。河東節は清元や長唄に比べて、荒っぽい節回しに聞こえますが、そのあたり、江戸の遊郭の雰囲気に合うのです。助六の芝居自体、芝居をするというより、見世物として、助六の粋な振る舞いを、絶妙な段取りと間をもって客に見せるように出来ていると思われます。その意味で、粋な旦那衆が語る河東節と助六の男伊達は相乗効果があるのです。
今回は、日ごろ上演されない水入りもあります。何でも22年ぶりだということです。助六は長い長い一幕の芝居なので、水入りの場の舞台転換の為に幕を引いてしまうと、顧客の緊張も引かれてしまうので、水入りはカットするのが普通になったのでしょうか。私も初めて見ました。
お芝居としては、水入りの場があったほうが良いです。これがあると、助六もいきなり、芝居を見せる演目になります。揚巻にも、凄い見せ場です。この場が無いと揚巻役者も見せ場が減って可哀想に思えるほどです。
水入りが無い助六も、縁起物を並べて見ているようで心地良いのですが、水入りの場があるとドラマ性が強くなり、揚巻と助六の情愛の濃さも見ごたえのある芝居となります。
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コメント
櫓が組まれることに、そんな意味があった事、初めて知りました。
大阪の新歌舞伎座(歌舞伎講演は上演しませんが)は間もなく
完成となります。
投稿: SCR | 2010年5月12日 (水) 09時35分
SCRさま今晩は
お江戸の頃は、芝居小屋はやばい所だったので、幕府の認可をアピールする必要があったものと思われます。
現在は、様式的に顔見世の時に建てられます。今回は歌舞伎座の移転があるので、アピールしたのでしょうね。
投稿: kk | 2010年5月12日 (水) 21時30分