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2009年5月 3日 (日)

Ofuna six の謎

2009531_w Camera : Ofuna Six, Lens : Ofunar 75mm F3.5, Film : Tmac100, PC-TEA

以前、Zunowの付いたミネシックスを紹介した時、そのレンズは大船光学機械社製のOfunar 75mm F3.5のOEMであるかも知れないという説がある旨を述べたと思います。

それ以来、Ofuna sixを見てみたいと思っておりましたら、先日、ジャンク品に出会いました。レンズはぼろぼろ、本体から取れかけ、蓋もろくに閉まらないものでしたが、レンズの形があれば、ミネシックスのレンズと比べることが出来ます。

家に帰り、レンズを外して分解してみたところ、ヘリコイドにレンズの留め金が挟まっておりました。この留め金を所定のところに戻し、レンズを分解掃除してみると何となく写真が撮れそうです。シャッターボタンから連動してレンズシャッターを駆動するレバーは部品に欠如がありそうなので、レバーを直接動かしてシャッターをレリーズします。1/300までのコパルシャッターは低速が粘っておりますが使わなければ良いだけなので、放置し、何回かシャッターをレリーズしているうちに、各部の動作もスムーズになってきました。いける。これ以上下手な事をしなければ、何とか写真が撮れる。こうなると、レンズを比べるだけではなく、実際の写真も撮ってみたくなります。

R0012172_w このカメラ、いろいろな資料から見て変ったところが多いようです。まずボディーのシリアルナンバーは64097。レンズのシリアルナンバーは9564。資料によるとボディーのシリアルは63xxx、レンズは8xxxまでだそうですから、ちょっと変です。さらに距離計はフィート表示しかありません。とすれば、このカメラは輸出用だったと思われます。

2009533_w 輸出用のオフナーシックスはミネシックスのボディーを使ってOfunarレンズを乗せたものとされておりましたが、この機体の存在はこの説に一石を投じることになるかもしれません。そして、ミネシックスのボディに乗せるために供給されたOfunarレンズが、後にZunowの許諾を得てZunowのZuminor75mmとなったという説にも。

この2つのレンズ、ちょっと見では違うレンズのように思われます。個体差を考慮してもコーティングは違うし、レンズの形状も微妙に違います。同じであることは、どちらも良いレンズである事。Ofunarレンズも、このレンズでは少しハレっぽいですが、状態が良ければもっと写るレンズであることでしょう。

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コメント

意外とプレス部品のやりとり、シャーシーの売り買いとか、小さな会社で昔の事だから顔見知りも多いでしょうし、いろいろなパターンがあるのでしょうね。

昭和の時代の組み立て工場の風景が想像出来そうです。

投稿: ラ・ペルラ | 2009年5月 4日 (月) 11時06分

なんだかGFといい、こちらといい、凄いのがいっぱい
出てきますね。
当時のカメラ製造って、今のメーカー物作りとは一線を画す
柔軟な調達方法でやっていたのかと想像させますね。

投稿: SCR | 2009年5月 4日 (月) 11時13分

ラ・ペルラ さま今晩は

大船光学機械製作所って、どちらかというとレンズ屋だったのでは無いかと思います。ボディは外注していたのでは?

SCR さま今晩は
このカメラ、製造されたのがせいぜい3000台。今のGF6700が5000台でも採算がとれないのでは、と言われている世界からは考えられないですね。

投稿: kk | 2009年5月 4日 (月) 22時51分

私は大船光学のカメラを持っているのですが、その上部にある銘は、OFUNA-R SIXとなっており、ボディのSNは19551、レンズはこの記事と同じOFUNARですが、SNは10771となっています。一部メカの緩みがありますが、まだ、写真を撮ることができます。海外のWEB PAGEなどを見ると、機種の銘はOFUNA SIXとなっているようで、なぜ、私の所有するものがOFUNA-R SIXであるのか知りたくなりました。レンズのofunarにあわせたのでしょうか。実はこのカメラ、大船光学にいた父の思い出深い遺品で、私が小さな時に使わせてもらっていたものなのです。

投稿: | 2009年11月 1日 (日) 01時44分

KKと申します。
とても興味深い話が聞けて嬉しいです。
このような話が聞けるだけでも、Blogにした価値があるというものです。

=>大船光学にいた父の思い出深い遺品で、私が小さな時に使わせてもらっていたものなのです。

素敵なカメラですね。試作機かも。シリアルはどんな意味でしょう。でもシャッターである程度年代は推測できるので、もしコパルなら、後期モデルです。

後期モデルなら、輸出モデルの試作も考えられると思います。オフナーシックスと普通に読めるようにOFUNA-R SIXにしてみたのでは。

投稿: kk | 2009年11月 1日 (日) 12時59分

KKさま
お返事有難うございました。確かにシャッターはCOPAL-MXとなっていて、5513897という番号がついています。おそらく試作機だったのかと思うようになりました。それで思い出したのですが、外見はほとんど同じで、シャッター部分がこれとは違う機種がもう一台あったのでした。しかし、今はそれがどこに行ったのか私にはわかりません。父はみかん箱ほどの箱二、三個にたくさんのレンズを残していきましたが、そのカメラはもう見当たりません。マグネシウムをたくような木箱状のカメラもあったのですが、既に散逸してしまったようです。

過日、日蝕の折にピンホール・カメラを使って遊び、ステレオ・アダプターを中学生の私の工作のために線引きしてくれた父と、暫くしまったままになっていたOFUNA-R SIXを思い出し、急に父とこのカメラにどういう歴史があったのか知りたくなってネット検索し、このページにたどりついたのでした。大船光学が消え去った以降、このカメラは父にとって特別なものだったようです。

個人的な歴史探訪をする気になって、萩谷剛 "ズノーカメラ誕生?戦後国産カメラ10物語 (クラシックカメラ選書)"なる本を読んでみようと思っているところです。また、お教えを乞いたいと思っています。

投稿: AK | 2009年11月 2日 (月) 01時04分

AKさま今晩は

何かわかったら是非教えてください。
こんなに素晴らしいカメラとレンズなのに資料が無さ過ぎてかわいそうです。

少しでも多く知りたいのです。

投稿: kk | 2009年11月 2日 (月) 20時58分

前に、一部メカの緩みがあると書きましたが、本当は分解して綺麗にしてやりたいのですが、私の能力を越えているかもしれないし、私にとってはたった一台のカメラなので手をこまねいています。

ところで、このページの上の写真右にあるのがOFUNAでしょうか。そうだとして、距離計は手動で、シャッター・ボタン近くに三日月形の窓があるでしょうか? WEBで見付けられる写真では、距離計と実際の撮影筒距離合わせが連動していないので、その窓で距離を読み取り、また手動で撮影筒の方の距離を合わせる仕組みだとありますが。

私の持っているOFUNA-R SIXは、そこがかなり違うようで、三日月形の窓も、距離形を動かすダイアルもなく、撮影筒の縁に本体部分に(そしておそらく距離形に)つながっていると思われるメカがあります。その部分が長い年月で緩んだのか(それとも正に試作機なのか)連動してはいないようなのですが、分解しないとはっきりしません。

私自身の記憶では、父はカメラとは別に距離形だけのメカを持っていました。そして、私は写真を移すときには目測で距離を判断して手動で合わせていたように思います。いずれにしても、その辺が少し奇妙に感じます。今までは全く疑問に思うことすらなかったのですが。

投稿: AK | 2009年11月 3日 (火) 00時53分

AKさま今日は

それは面白いですね。このカメラはレンズに向かって左側にシャッターと連動するレバーがあります。右側に連結棒があれば、それはレンジファインダーへの運動伝達器です。

もし、そうなら、かなりの確率でレンジファインダーの試作機です。その場合、OFUNA-RのーRはRange Finderの意味ではないでしょうか。

投稿: kk | 2009年11月 3日 (火) 10時04分

お言葉に励まされて、朝からあれこれやっていて、この時間になってしまいました。以下、カメラ部分の名前にあまり詳しくない者の記述です:

撮影筒の前後動が連結棒に伝わり、更に鎖(小さな玉を数珠状につないだもの:名前がわかりません)によって、上下動になり、それが測距部分まで行っている、という作りのようです。測距ファインダーはフレーミング用ファインダーと一体になっています。

私が目測で距離を設定していたと書きましたが、撮影筒の前後動を連結棒に伝えるところが外れていたのです。連結棒がよく動かないので、そのためわざと外していたのかなと思いましたが、経年変化もあり動きがとれなくなっているだけかもしれないと思い、朝から掃除とメカの動きのリハビリをずっとやりました。

その結果、撮影筒の前後動とレンジ・ファインダーの連動が可能なことがわかりました。連結棒の位置決めネジが2本あり、2本目に気づいて少し緩めてやると、動きがスムーズになり、撮影筒レンズ部分の前後動に合わせてファインダー内の像が二重になったり重なったりすることが確認できました。

これは仰るとおり、連結型レンジ・ファインダーを持つOFUNA SIXです!! 父は「オフナー」ではなく「大船 あーる しっくす」と呼んでいたようにも思います(少なくとも私はそうでした)。

試作機であればボディのSNは数値としては意味がないと考えると、これは1955年1月(ないしは、1955年1台め)ではないかと思えてきました。家族の歴史を振り返ると、おそらくその時期のものであるに違いなく、1956年を過ぎるあたりで大船光学は経営状態が最悪となり、この試作機(?)が発売されることはなかったのかもしれません。

いずれにせよ、おかげで父の夢を見なおすことができ、長いこと眠っていた仕組みが動いた感動を味わっています。KKさんのページのおかげです。デジカメ(オヤジが聞いたら嘆くかも)でOFUNA-R SIXの写真をたくさん撮りましたので、見てやろうというお気持ちがありましたら、お送りしたいと思っています。

追伸: 大船光学がレンズ屋だったのでは、とかかれていましたが、昨日、思い出したことがあります。父は小学1年生の私に現像を教えたりするような人だったのですが、幼稚園くらいの頃、その父に工場に連れていってもらったことがあったのです。暗い工場の中で、レンズを磨く装置(レンズを水平に置き、その上下に研磨用の皿のようなものが重ね合わされていた)が数十あって、紅殼(ベンガラ)のスラリーが入れてあり上下の皿がゆっくりとズレながら回っていたのです。紅殻の鮮やかな色を何十年もたってから思い出したのでした。

投稿: AK | 2009年11月 3日 (火) 17時16分

AK さま今晩は

大船光学がレンジファインダーの試作機を作っていたのですね。それは凄い。それに大船光学の工場の様子も、そこに見えるようであります。

OFUNA-Rの写真も見たいなぁ。
よろしければ、WEBメールにでも送ってください。

投稿: kk | 2009年11月 3日 (火) 17時56分

OFUNA-Rに関係する可能性はあまり高くはありませんが、神奈川の実家にはまだ父のノート類がかなり残っているので、帰るような折にはいろいろ調べ直してみようかと思っています。また、当時大船光学の父の後輩でまだ元気な方があるはずなので、機会があれば思い出話などを聞いてみたいとも。

戦後のドサクサの中、どういうわけか小さな町工場に旧帝大出の連中が集まってほとんど無給に近い状態で新しいカメラへの夢をふくらませていたのだなと、今更ながら感慨深い思いでいます。

写真、一枚あたり4MBなのですが、yahooは一度に受け取れる容量は10MB程度でしょうか?メカが分かるようなものを20枚ほど選んでお送りします。

投稿: AK | 2009年11月 3日 (火) 18時48分

23枚ほど(勢いに任せて)お送りしてしまいました。
感想等お聞かせいただければ幸です。ではでは。

投稿: AK | 2009年11月 3日 (火) 19時49分

そうですね、ひとつわかると10わからないうことが出てくる、そんな思いでもあります。私は写真を撮るのは好きですが通ではありませんから、わからないことだらけです。戦後の国産カメラの歴史関係の本を読んでみようなどと思ったことすらありませんでした。

大船光学について私が知っていることは、そう多くはありませんが、本来軍用双眼鏡などを手がけた富岡の一工場だったらしく、従って、当時のことですから色々と中央にもつながりがあったのかと思います。例えば、以下は訃報ですが、大船光学の人脈を知るにはいいかもしれません。
http://www.u-tokyo.ac.jp/gen03/kouhou/1218/7.html
ここには興味深い名前が出ていますし、当時の大船光学のバックボーンが垣間見えるかもしれません。

おそらくKKさんは技術的な面から関心を持っておいでかと思います。私も父の影響かメカや光学(特に視差と距離の関係なども)には関心がありますが、父が身罷ってから当時(大船光学)のことを余り話したがらなかった父のその頃を知りたいと感じることがあり、そうした線からの関心も大きいのです。

父は戦争終結とともに関東に戻ってきたはいいが職はなく、祖父が比較的裕福だったのでその人脈に頼れば安楽だったかもしれないのに、自分の興味で大船光学に行き(最初は履歴も何も言わずに「レンズを磨きたい」と言ってレンズ工として採用されたのだそうです)、数学/機械工学屋だったので設計に関わるようになり、以後、大船光学がなくなるまでいたのだと思います。母によれば「お給料なんてもらったことあったかしら」というような有様だったようですが。

さて、思い出話はこのくらいにします。私も花が好きでいつも歩きながら一枚二枚と。なので、その意味でも今後とも楽しみにさせていただきます。もう冬の訪れなのでしょうか。

投稿: AK | 2009年11月 4日 (水) 03時00分

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