ミネシックスというカメラは今は無き高嶺光学というメーカーが、1955年から1957までの間の数年間、作っていたカメラです。高嶺光学はこの3年間に4回モデルチェンジしております。この回数は今のデジタルカメラのモデルチェンジにも劣らないスピードですが、ブローニーの蛇腹カメラの終焉の時であり、メーカーの社運をかけて改良を続けた結果でしょう。
結局このような努力にも関わらず、カメラはライカ版の小型カメラの時代になり、中小のメーカーは淘汰されて行きます。ミネシックスは最初の機種からヘリコイド繰り出しによるレンジファインダー式の高級蛇腹カメラでしたが、そのなかでも異色なのがこのIIISモデルです。
他の機種が赤窓式の6x6,645兼用であるのに対し、III Sは自動まき止め式6x6専用です。さらにこの機種のレンズはズノー光学のレンズが使われています。
これが次のモデルのスーパーミネシックスになると、内蔵露出計との競合の関係からか、また赤窓式に戻ってしまいます。
当時、露出計内臓の威光は今では考えられないくらい良いものだったでしょうし、645のニーズは欠かせないものだったのでしょう。今から思えば、IIISからスーパーにスペックダウンしたように見えますが、当時のマーケッティング上は必然的な進化だったものと思われます。しかし、フイルムも高感度のものが安くなり、露出計も中途半端なものは要らない時代になると、IIIS型のスペックが圧倒的に高級品に見えるのです。
このカメラの美点である自動まき止めは、現在のフイルムでもきっちりコマ割されます。この点はコマ間がちゃんと取れないイコンタのスーパーシックスと比べて優れております。また距離計と連動するピント合わせもヘリコイド式なので、この点でも前玉回転式のスーパーシックスよりすぐれております。
Camera : Mine six III S, Lens : Zunow Zuminor 7.5cm F3.5, Film : TMY-2 EI=400, F=5.6 1/50Sec
また、このカメラの最大の特徴であるズノー光学のレンズですが、これはズノー光学が製作したものではないとの噂があります。その根拠は当時のズノー光学にはライカ版の50mmF1.1のレンズは作れても75mmF3.5のレンズを作るノウハウが無かったとか、マニアックで高度なレンズを製作していたズノー光学が75mmF3.5等という凡庸なレンズをつくるはずが無いといったところでしょうか。
このカメラのつくりでは、このレンズでぎりぎり、1mmの余裕もありません。どんなメーカーでもこのカメラのレンズを作るとしたらこのスペックしかありえないのです。しかし、カメラは短期間にモデルチェンジをしていることから、ズノーが自由に設計したレンズに合わせてボディーを作ったということは考えられないので、設計は巷間でうわさの通り、大船光学で設計された既存のものを使ったことは十分考えられます。
ただ、あれだけ独創的なレンズやカメラを作ったメーカーが、名前だけ貸すような商売をしたとは思えません。堂々とズノー光学の名前とシリアルナンバーをレンズの全面に出しております。したがって、製造はズノー光学が行っていたのではないかと思います。もっとも、大船光学は由緒ある光学専門メーカーだったので、製造を任せて検査だけを行ってシリアルをつけたとしても、ありえる話だと思います。
Camera : Mine six III S, Lens : Zunow Zuminor 7.5cm F3.5, Film : TMY-2 EI=400, F=3.5 1/50sec
いづれにしても、ズノー光学の名前で世にだされ、宣伝に使われ、製品として残ったレンズであることは確かです。
Camera : Mine six III S, Lens : Zunow Zuminor 7.5cm F3.5, Film : RVPF, F=3.5 1/50sec
レンズの印象はテッサーよりヘキサーに近い感じがします。柔らかな繊細さを持っております。リバーサルカラーで撮った場合、カラーバランスは少し黄色に傾く傾向があるようです。左の作例は最短でのパララックスを見る為に撮ったショットですが、結構ずれてます。スキャナーで補正していますが、原版は何となく黄色っぽい発色をしております。
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