残り柿を見に行く旅
Camera : Zenza Bronica EC_TL, Lens : MC Zenzanon 200mm F3.5, Film : RVPF
11月下旬の勤労感謝の日を絡めて連休になりそうだと、京都に行きたいなぁ、でも混んでいるだろうなぁと思いをめぐらし、結局、東北のどこかをふらつく見たいな事を毎年繰り返しているような気がします。
この頃は、JR東日本で三連休パスを発行するので、ただ電車に乗っているだけで幸せな私としては、高いお金を払って混んでいる京都に行くよりも、紅葉が終わった東北の枯野を車窓から見ているのが好きなのです。
そしてもう一つ好きな景色が残り柿のある風景です。残り柿と言っても最近は、忘れ去られた柿の木ばかりなので、最初から全部が残り柿です。
この光景には子供の頃、甘柿の木を必死に覚えて、腹が減ると盗み食いをしていた身としては、妙に胸が痛みます。人に忘れられた柿木は可愛そうです。
そんな柿の木を見る度に、私が子供だったなら一つもいで食べて見るのに残念だと思うのです。たとえそれが渋柿であっても、その味は昔の思い出を蘇えさせるもの。今日渋柿をかじるなんてこと難しいですから。
しかし、本当は、山の中で柿の木を見つけたら止まらないでしょうね。さすがに廃屋でも民家の側にある木や畑の木ではやらないでしょうけど。実こそ取りませんが、そんな柿の木を見つける度に写真は撮らせてもらっております。
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コメント
お隣のお宅にも立派な柿の木があるのですが
収穫しているところを見かけたことがありません。
たわわがそっくり残り柿になってしまいます。
借景として目を楽しませてくれますが、なんとももったいない。
投稿: 會津 | 2007年11月29日 (木) 08時47分
たとえそれが渋柿でも渋抜きして食べれば美味しいのに残念ですね。
柿がある風景は好きです。木になっていても、軒先に吊るされていても。
一時期柿の木が育たないところに住んでいて、そこでは、秋の景色に寂しさを覚えたものでした。
投稿: kk | 2007年11月29日 (木) 20時52分