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2007年8月15日 (水)

志免炭坑跡と香椎線の点と線

Img_5530_w Camera : canon EOS 5D, Lens : TS-E 24mm F3.5L (志免炭鉱のズリ山から)

福岡空港に降り立つ前に、海の中道という美しい砂州の上空を通過します。この砂州には香椎線という鉄道が走っていて、一度は乗ってみたいと思っておりました。乗ってみたらこんなところに鉄道を敷設した理由がわかるかも知れないとも考えました。

海の中道には大きな遊園地があり、この辺りははリゾートの様相を呈しており、また終着駅の西戸崎駅の周辺にはマンションが立ち並び、リゾートで生活をしながら都会に通勤も出来るマンションとして開発が進みそうです。でも鉄道の敷設はずっと前で、どちらかというと国鉄のお荷物路線でしたから、リゾートの開発をあてこんで敷設されたものではありません。

正直乗ってみた感じでは、ここに鉄道が敷設された理由がまったくわからなかったので、後で調べてみると、もともとは石炭輸送のための鉄道だったようです。では、どこの炭坑の石炭かと言うと、志免炭鉱の石炭も主にこの鉄道で運ばれたようです。

Img_5512_w (竪坑櫓の写真を撮っている時、私らを撮れとやってきた元気な子供たち、この炭鉱跡地が好きになった瞬間)志免炭鉱跡は私が最も好きなものの一つで、この跡地では竪坑櫓、ズリ山、搬出施設跡が解りやすい形で残っているのです。地図を見ると志免の炭坑跡から香椎線の酒殿までの距離はほんのわずかで、この間に貨物支線が通じていたのです。廃線跡は現在でもYahooのMapの航空写真でもその跡がはっきり確認できますが、ホッパーの位置はズリ山の北西にあったのではないかと思います。

一方、西戸崎駅の航空写真を見てみると、今ののんびりしたムードとは打って変わって、支線が二本のび一方が石油タンクの方面へ、また一方が岬の先端まで真っ直ぐにのび石炭の積み出しを行っていたように見えます。エネルギーを供給する基地のような役割をしていたと思えます。

このあたりの話は石瀧豊美さんという方のファイルに詳しく載っておりますが、もともと佐世保の海軍に良質の石炭を供給する為の鉄道だったようです。

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コメント

ずいぶん研究されていますね、感心しました。
土井駅(我が家から800mm)には麻生久山の石炭が我が家の前を通り抜けて索道で運ばれたようです。
こんなにお近くを通られたのでしたらお立ち寄りいただければよかったのに水臭いなぁ。

投稿: 610 | 2007年8月15日 (水) 22時45分

実は、携帯電話に610さんのアドレス等をダウンロードして出かけたのですが、博多近辺に寄ったのが、610さんが熊本から帰った日の翌日の早朝、さすがに連絡ははばかられました。

調べてみると改めて、土井駅近辺も含めて香椎線は面白そうと思いました。ttp://mapbrowse.gsi.go.jp/cgi-bin/airphoto/photo.cgi?index=503033&group=USA10kKU&course=M109&num=27&size=normal
は米軍が撮影した土井駅近辺の航空写真ですが、さすがに610邸もこの時には無かったのでは。当時の土井駅は長い貨物のヤードを持ち、道路は迂回して線路を横断していた様子がよく解ります。

このヤードのどこかに索道が着いていたのでしょう。また、地形が随分違うのは山陽新幹線の工事と宅地開発の為以外に、この辺りの炭鉱はひょっとして露天掘りだったのではと想像が膨らみます。が、果たしてどうでしょう。

610さんにもお会いしたかったし、福岡と北九州の間の街ももっと良く見たかったのですが...こんな心残りが次の訪問へのエネルギーになるので、また今度..です。

投稿: kk | 2007年8月15日 (水) 23時53分

あの航空写真では右端の一番上に我が家の前身が見えます。
まだ畑だったのですね、裏の山(丘陵)はおそらく小さな炭坑の換気坑等の施設のような感じですね。
桂化石などが出てくる石みたいな粘土層の地形だったと記憶しています。
索道は我が家の前数十メートルの田んぼを渡って通過していたような痕跡が見えます。

投稿: 610 | 2007年8月16日 (木) 08時55分

このあたり、山あり川あり。海にも近く。空港にもインターにもアクセスが良さそうで、良い感じの住宅地になった感じがありますね。

投稿: kk | 2007年8月17日 (金) 00時12分

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